ロシア非常事態省による人命救助:3つの驚くべきドラマ

歴史
アレクセイ・ティモフェイチェフ
 1990年代初めに創設されたロシア非常事態省は、しばしば最も困難な課題に直面する。それらに取り組むには、特別な勇気と能力が必要だ。隊員たちの活躍で多くの命が救われ、この方面でのギネス世界記録さえ打ち立てられている。

1. あわや大災害

 1991年9月、ウファ市(モスクワ東方1300km)は、大規模な人為的災害の瀬戸際にあった。製油所の煙突がひび割れ、長さ30㍍、重さ700トンの巨大なコンクリート片がぶら下がっていた。それは、いつ剥がれ落ちて、精油所を直撃するか分からなかった。そして、そこでは可燃性の燃料がつくられていたのだ…。精油所直撃で大爆発が生じ、約100万人の住民を抱える大都市で甚大な火災・地震を引き起こして、無数の犠牲者を出しかねなかった。

 解決策として、一連の制御された爆発を起こし、ぶら下がっているコンクリート片を取り除くことが決められた。しかし、そのコンクリート片が適当な場所に落ちるように、爆破は細心の注意を払って計算されなければならなかったから、極めてリスキーな作業となった。

 また、120㍍の高さの、強風が吹いているところで350㎏の爆薬を適切にしかけることも困難を極めた。そこで、何人かの救助隊員がモスクワからやって来て、作業に協力した。

 「ウファ煙突作戦」は極めてユニークな作業だった。というのは、それまで誰も、一連の制御された爆発で、大構造物の巨大な一部をうまく“切り取ろう”と試みたことはなかったから。解体の専門家が正確な計算を行い、高所作業のスペシャリストが爆発物を慎重に煙突に固定した。

  「爆破により、煙突片は、砂と木材でできた特別なクッションの上に落ちてきた。まさに落下を想定した地点だった。落下に際して、近くのパイプの表面をわずかに傷つけただけだった」。ウラジーミル・カヴネンコ氏はこう語った。同氏は、救難活動の作業中における安全確保の専門家だ。

 煙突の残りの部分は、爆発後もそのまま残り、修理された。そして、製油所は間もなく稼働を再開した。この大胆な偉業はギネスブックに収録されている。 

2. 大地震で生き埋めになった被災者の救出

 1995年5月28日、小さな町ネフテゴルスク(ロシア極東のサハリン州)を大地震が襲った。マグニチュード7.6という、ロシアで過去100年に起きた地震としては今なお最大である。

 地震が発生した午前1時には、3200人の住民のほとんどが眠っていた。「震度6.0」の地震に耐えるように設計された5階建ての建物17棟があっという間に崩れ落ち、町全体が崩壊した。町は、ぶ厚いコンクリート瓦礫で覆われた野原のように見えた。

 ちなみに、ロシアで使われている震度階級は、「メドヴェーデフ・シュポンホイアー・カルニク震度階級」で、IからXIIまでに分類される。震度VIは、本棚から本が滑り落ちることもあるという程度。

 地震は多くの道路や橋を破壊し、救助活動を妨げた。

 1500人以上の救助隊員が派遣され、セルゲイ・ショイグ非常事態相(現国防相)が救助活動を指揮した。彼は後に、信じ難いエピソードを回想している。

 「地震発生の数日後、救助隊員は、足がコンクリートブロックで押し潰された男性を発見した。 彼は意識があり、もうすぐ助かるものと思っていた。しかし医師は、足の傷から敗血症を起しているのに気づき、ブロックをもち上げれば、身体がショックに耐えられまいと言った。男性はこれを聞くと、ウォッカとタバコを求めた。彼はウォッカを飲み、タバコをくゆらしながら言った。『さあ、持ち上げてください!』。こうして男性は救助隊員の腕の中で死んだ」

 ショイグ大臣によると、この悲劇により、非常事態省は、血液浄化のためのユニークな携帯機器を開発することになった。

 また、この救助活動の間に、初めて「1時間の沈黙」を適用した。すなわち、すべての捜索と瓦礫除去の活動を一時停止して、救助隊員は、より多くの生存者を見つけるために、注意深く耳をすましたのである。以来、これは世界中でスタンダードになっている。

 救助隊員は毎日17〜18時間作業した。捜索犬を使って、地震後7日目にも生存者を見つけている。極めて困難な状況にもかかわらず、計406人が救助された。だが、この悲劇で2000人以上が死亡している…。

3. 欧州最高のオスタンキノ・タワーの火災

 モスクワのテレビ塔「オスタンキノ・タワー」といえば、建設当時は世界最高(540)を誇り、今もロシア、欧州で最高。そのテレビ塔の高さ460㍍地点で、2000年8月27日に火災が発生した。

 火災抑制システムは機能しておらず、テレビ塔の給電線とケーブルが発火すると、火災は急速に広がり、一種の「火の雨」を降らせた。

 最初に消防士と救助隊員が駆けつけたのは事故発生から10分以内。狭い階段は使用できなかったものの、90分後には全員が塔から避難できた。隊員はエレベーターを使って人を避難させねばならなかったが、エレベーターの1台が300の高さから落下し、消防士1人とタワー職員2人が死亡した。

 消防士は、塔の下部への延焼を食い止めようとしたが、火災を抑えるために使っていた材料に、上から落下してきた破片、瓦礫が降り注ぎ、貫通した。

 2400人近い、消防士と救助隊員が24時間にわたって消火活動に当たった。高温のため、タワーを支える149本のケーブルのうち120本が破損し、タワーそのものが倒壊する恐れがあった。しかし80地点で、消防士は延焼を止めることができた。鎮火後、塔の再建には数年を要した。