カール・マルクス生誕200年:ロシア人の反応は?

マダム・タッソー館、ベルリン

マダム・タッソー館、ベルリン

imago stock&people/Global Look Press
 ドイツの哲学者・経済学者、カール・マルクス(1818~1883)が、5月5日に生誕200年を迎える。彼は、ソ連の科学とイデオロギーのキーパーソンの1人だった。今のロシア人はどう思っているのだろうか?

 「これが30年前なら、政治局員が議長を務める委員会が組織され、地方の党組織には、マルクス主義の生みの親の著作についてどう書き表すべきかについて、指示が送られていただろう。そして当日までに何本もの映画、ドキュメンタリーやラジオ番組が製作されただろう」。もしもロシアで、ミハイル・ゴルバチョフによるペレストロイカとその結果起きた出来事がなかったとしたら、カール・マルクスの誕生日はこのように祝われていたろう――。ミハイル・シュビトコイ露大統領文化特別代理(元文化大臣)はこう想像する。

 

「墓の中で向きを変えるマルクス」

 「今はすっかり様変わりだ」とシュビトコイ氏は言う。これに異を唱えるのは難しいだろう。今年のマルクス生誕200年を祝うプログラムはかなり控えめなようだ。

 あるモスクワの博物館では展示会が行われ、二、三の会議が開催される予定。また、カザン大学ではアクティビティが行われる。学生たちが組織する「マルクス・フェスト」だ。このなかには、ラップバトルとクエスト「マルクスの『資本論を探せ』」(『資本論』はマルクスの主著)が含まれるという。

 これはロシアにとっては多いとは言えまい。なにしろロシアには、ほぼすべての都市にマルクスの名を冠した通りがあり(そうした通りの一覧)、モスクワから約800km離れたヴォルガ川沿岸には、その名のついた街さえあるほどだ。社会主義から資本主義へと、多くの痛みをともなう30年の歳月を経てきたにもかかわらず、海外の人々はロシアをマルクスと結びつける傾向がある。

 例えば、イギリスのカレン・ピアース国連大使は、安全保障理事会のシリアに関する最近の公聴会で、マルクスを引き合いに出して発言したが、ここにもそうした傾向が見られる。

 「マルクスは墓の中で体の向きを変えるべきだと思う。そして、彼の遺訓の多くにもとづいて建てられた国が、シリア支援の名目で何をやっているか、とくと見るべきだ」

 

4頭のゾウに乗ったマルクス

革命直後に、ウラジーミル・レーニンは、「記念碑によるプロパガンダ」の計画を示した。「革命の最大の人物、カール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルス」の記念碑は、優先的に建てられた。

 とはいえ、こう思う人もいるかもしれない。ピアース国連大使のように、ロシアの最近30年の歴史をくくる人がいても別に驚きではない、と。確かに、ソ連におけるマルクスの存在の大きさは非常なものだった。マルクスは、1917年10月の社会主義革命以来、この国に遍在していた。

 革命直後に、ソ連の建国者ウラジーミル・レーニンは、「記念碑によるプロパガンダ」の計画を示した。偉大な革命家や社会思想家を記念して、多数のモニュメントを設置するというものだ。「革命の最大の人物、カール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルス」の記念碑は、優先的に建てられた。

 最初のマルクス像は石膏製で、ペトログラード(現サンクトペテルブルク)のスモーリヌイ修道院の前に建てられた。革命当時、ここにボリシェヴィキ政権の本部があった。この記念碑は、1918年11月の革命1周年に合わせて準備された。それは世界初のマルクスの記念碑で、伝統的な手法でデザインされた。

 レーニンの生まれ故郷、シンビルスク (現ウリヤノフスク)で建立されたマルクス像は、これとは異なるコンセプトだった。こちらのマルクスは、黒い大理石に彫られており、まるでギリシャ神話のプロメテウスみたいに見えると言われている。プロメテウスは自分の足かせを破壊し、自他に自由をもたらした。

 記念碑の裏側には、マルクスの有名な言葉が刻まれている。「大衆に受け入れられた思想は、勝利に向けての最大の原動力となる」

 マルクスのイメージに関しては他にも、美術家、画家などによるおもしろい提案がいくつかあった。彼らの多くは熱狂的に革命を支持しており、未来派、モダニズムの手法でその理想を示したがった。

 それらの提案のなかには、「動的な立方体の構成」でマルクスを表現するアイデアが含まれていた。マルクスが4頭のゾウに乗っているというのまであった。

 

マルクスに関するジョーク

 おそらく、最も有名なソ連のマルクス像は、1961年に「赤の広場」に近い、モスクワ都心に建てられたものだろう。このモニュメントの作者はレーニン賞を授与されたが、一部のモスクワっ子は、「ひげの垂れた冷蔵庫」とこき下ろした。

 ソ連の多くの人々にとって、マルクスのいちばんのシンボルはひげだったようだ。 当時、こんなジョークが流行った。「外見がマルクスにすごく似ている道路の清掃員がいた。彼の上司たちは、偉大な哲学者が箒で通りを掃いているように見えるので、落ち着かなかった。そこで、上司たちは彼にひげを剃るように言った。すると彼は、『もちろん、ひげを剃ることはできますが、私の偉大な明るい心はどうしますか?』と言った」


不人気なマルクス主義

 現代のロシア人の大半は、マルクスやマルクス主義にはかなり無関心なようだ。現代ロシアの生みの親の1人であるなどとは考えていない。

 マルクスに関してロシア全国で行われたアンケート調査によれば、大多数がマルクスの名前は知っていたが、回答者の約70%が彼の学説には関心がないと答えた。しかも、この調査は10年以上前に実施されたものだ。

 シュビトコイ氏によれば、こうした状況は主に、ロシア人がいまだにボリシェヴィキ革命のもたらした諸事件とソ連時代について確たる評価を持ちえず、それらに対する態度を決めかねていることによる。

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