グディム(アナディリ1あるいはマガダン11)は、極秘軍事基地で閉鎖都市であった。ロシア極東のチュクチ半島に位置している。今では、放棄された建物が並ぶ廃墟にすぎない。
長年にわたり、この街は、中距離弾道ミサイル「RSD-10」(ピオネール〈パイオニア〉)の基地だった。このミサイルは、核弾頭を搭載でき、アラスカ、ワシントン州、カリフォルニア州、サウスダコタ州の一部を射程におさめていた。しかし、ミサイルの主な目標は、シアトル近郊にある、アメリカで3番目に大きい海軍基地「キトサップ」だった。
ミサイルは、サイロではなく、輸送起立発射機「MAZ-547」に保管されていた。そしてそれらは、戦車大隊、歩兵 / CBRN防衛部隊、および隣接する飛行場の駐屯連隊によって守られていた(*CBRNEは、化学 (chemical)・生物 (biological)・放射性物質 (radiological)・核 (nuclear)・爆発物 (explosive)によって生じた災害を意味する――編集部注)。
伝説によると、この閉鎖都市は、ソ連の指導者ニキータ・フルシチョフが有名なセリフを吐いて米国を威嚇した後に、建設された。すなわち、「我々は、チュクチ半島にだってミサイルを配備している!」。その直後の1958年に、軍が基地を建設し、1961年からその閉鎖にいたるまで、警戒態勢をとっていた。
この閉鎖都市は、公式には「アナディリ1」と呼ばれていた。が、人々は街を建設した大佐の姓「グディム」で呼んだ。ところが街が完成すると、大佐は拳銃自殺してしまった。理由は誰も知らない。
チュクチ半島の過酷な状況で暮らし働いていた軍人とその家族は、良い報酬を得ていた。危機の時代にあっても、グディムのショッピングモールには品物が充実していた。
このエリアの周囲に点在する軍事拠点は、閉鎖都市をサボタージュと敵部隊の侵入から守っていた。
基地は、1987年まで運営された。この年、中距離核戦力(INF)全廃条約が米ソ間で結ばれ、すべての中距離核戦力を廃棄することとなった。
2002年、街は軍によって完全に放棄された。残りの市民は、ロシア西部のサラトフ市とエンゲリス市に移住した。
最近、公共交通機関はこの街に運行されていない。しかし、アナディリ空港の近くのウゴルヌイエ・コピから、車またはタクシーで(約100ドルの料金で)アクセス可能だ。いずれにせよ、オフロード車だけが、ここにいたる険しい地形を踏破できる。