ソ連時代、店の商品棚にペプシもファンタもなかったが、ソ連製のレモネードが500種類以上もあった。その多くが香草から作られていて、賞味期限が短かった。
「バイカル」は「ペプシ」の代用品として考案されたが、色以外の共通点はなにもなかった。この「バイカル」は1973年にモスクワで、オトギリソウ、スペインカンゾウの根、モミ精油をベースに作られたが、その味は類を見ないものであった。しかし、製造工程でオトギリソウが大量生産するのには足りないことが分かり、紅茶や、サンザシとナナカマドをミックスしたものが代用されるようになったが、その独特の味が失われることはなかった。
シベリアのサヤン山脈にちなんで名付けられたこの飲み物は山に生育するルージァ・カルタモイデスのエキスと炭酸レモネードをベースに作られている。ルージァ・カルタモイデスは滋養強壮の効果があり、金がかった色をしていて、ほんのりモミの木の匂いがする。1950年代末に作られたものだが、「バイカル」や「タルフン」に劣らず人気があった。
ホタルブクロのエキスを基に作られた透明の飲料で、ルーシ時代にはこれを使って蜂蜜ドリンクが作られていた。ホタルブクロの青い蕾が小さな鈴の形に似ていることから、この名前がつけられた。「コロコーリチク」の味はどこか「スプライト」を思わせるが、実際にはそれよりもっとマイルドな味である。
ソ連で最初に作られた炭酸飲料の一つで、1930年代にはレシピが考案された。デュセスというのは洋ナシの一種で、甘くて渋みがある。レモネードと洋ナシのエッセンスを基にした炭酸飲料はデザートとしても通用する。
ソ連時代、子どもたちにもっとも愛されたレモネードの一つ。レモンの炭酸飲料とオレンジエッセンスを基に作られた。製造には天然素材しか使われておらず、ガラスのボトルに入ったブラチノは1週間しか保存できなかった。
カフカスの植物タルフンのエキスをベースにした緑色の飲み物は1887年、チフリス(現在のトビリシ)の薬剤師、ミトロファン・ラギゼによって考案された。このタルフンの製造で、ラギゼは多くの国際展覧会でメダルを手にし、また皇帝一家の御用達となった。ソ連時代に入った1927年には、トビリシの「ラギゼ・ウォーター」炭酸飲料工場長になった。大量生産が始まったのは1981年だが、いまも非常に人気がある。
オレンジ、みかん、レモンのエッセンスをベースにバニリンを加えたクラシカルなレモネード。シトロという名前はフランス語の「レモン」から来ており、伝説によれば、ロシアでは1812年の祖国戦争後に、ロシアの将校たちがパリでこれを試飲し、ロシアに持ち帰ったことから、この飲み物がよく知られるようになったとされている。1960年代になると、ボリショイ劇場のビュッフェでシトロを飲むのが流行した。ボリショイでは本物のシトロが飲めると考えられていたのである。
ソーダとアイスクリームを混ぜたらどうなるか?そう、それが「クレム・ソーダ(クリーム・ソーダ)」である。最初のレシピはアメリカで考案された。ベースとなっているのは泡立てた卵とスパイスである。一方、ソ連の「クレム・ソーダ」はバニリンとクマリンを基に作られ、炭酸のアイスクリームの味を再現している。
この飲み物の名前は同名の寓話から取られている。寓話の中のキツネはブドウの房が欲しくてたまらないのだが、どうしてもそれに手が届かない・・・というお話で、お分かりのようにこの炭酸飲料はブドウの果汁にブラックチョークベリーのシロップ、よもぎレモンの精油、アヤメのエッセンスが加えられたものがベースになっている。
ジョージア語で「素晴らしいもの」と訳されるこの飲料はソ連初のアイスティーであった。1970年代の末、ジョージア学術茶産業協会が、茶の濃縮液を作る技術を開発し、それを使い「バフマロ」を作った。「バフマロ」は甘酸っぱい味とレモンティーの香りのする飲み物であった。
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