ウラジオストクの郊外にある「グリーンコーナー」と呼ばれる広大な日本車中古市場。その一角にはさまざまな車種に適合するタイヤが野積みされている=Getty Images/Fotobank
グリーンコーナーでは、カラフルな車体が輝き、フロントガラスがきらめいている。
品ぞろえは日本の自動車市場とさほど変わらないが、違う点もある。
ロシアではオフロード車の人気が高く、高級車の「プラド」や「サーフ」の周りには人影が絶えない。近年は、シティータイプの小型車もお目見えしている。
グリーンコーナーにはあまりに多くの中古車が並んでおり、そこを一日で見て回ることはできない。どの車も、きれいで、ぴかぴかで、ナンバープレートはない。ロシアで走行したことのない3年から5年落ちの車が多い。
「切断車じゃあるまいね?」。あごひげを生やしたごつい感じの中年男性がスバルの小型車を指さして注意深く尋ねた。
関税を安くするために、日本で車体を半分に切りロシアで再び接合する車を「切断車」と呼ぶ。この荒業は2008年の関税引き上げ後に広がった。
売り手は薄ら笑いを浮かべて答える。「切断車は扱っていないよ、うちのは課税100パーセント」。課税100%とはそっくりそのまま輸入された車のことだ。
「ラスピール(切断車)」
車体を切断し再び接合する車
「トプリャーク(水没車)」 (または「ルサールカ(人魚車)」)海水に浸かったことのある車
「サイラ(秋刀魚)」クーペ「トヨタ・ソアラ」
「ホリョーク(ケナガイタチ)」トヨタ・ハリアー
「ビノグラード(ぶどう)」万能車「日産ウィングロード」
「パルケートニク(寄木細工車)」SUVとほぼ同義
即座にトレーラーハウスのようなところで売買契約を結ぶことができる。日本車の購入者は国家自動車監督局で登録を済ませ、一路、ハバロフスク、チタ、イルクーツクなどのわが家を目指す。
外国人に閉鎖されていたウラジオストクに日本車が輸入されはじめたのは1980年代末。自動車の輸入は、この町の姿や経済構造を一変させた。それは真に大衆的なビジネスであった。
ペレストロイカ後に仕事にあぶれた将校、漁民、学者たちは実業家に身を転じ、漁船や学術調査船(軍艦も)など極東の船という船が自動車の運搬に従事し、部品やサービスの市場が発達した。当然、自動車ビジネスは犯罪と深く結びついていた。
最先端の車に対するソ連人のあこがれは非常に強く、家を売って車を買うケースも見られた。
日本車のエアコン、オートマチックトランスミッション、その他の機能に魅了された。極東っ子たちは日本車の右ハンドルにすぐに慣れた。
沿海地方の自動車ビジネスの成長は、ウラジオストクがシベリア方面へ自動車を移送する積み替え拠点となったことに起因している。「ゼレョンカ(グリーンコーナー)」は1993年9月に開設された。
中央政府は、国内の自動車産業を脅かしかねないとして、極東の自動車ビジネスの発展を煙たく感じていた。
1990年代半ば、チェルノムイルジン首相(当時)は右ハンドル車使用を禁止しようとしたが、抗議に遭って前言を翻した。
2008年、当局による中古車輸入関税引き上げの際、ウラジオストク市民の怒りが爆発し、市内の道路封鎖と抗議デモが繰り広げられた。
2012年に極東の税関を通過してロシアへ輸入された自動車は25万8000台。50万台を超えたピークの08年の記録は破られまいが、輸入量は年々増加している。
「ゼリョンカ」を初めて訪れる人は、野外市場に並ぶ日本車(最近は韓国車や米国車も陳列)の台数と種類の多さに圧倒される。
海千山千の者にいわせると、現在の市場は「半分空っぽ」。まず中央政府の圧力の影響。次に、「血統書」付き自動車を購入できる日本のオークション人気の反動があるという。
市当局は、市場のある場所に住宅地を建設する計画を一度ならず発表してきた。今の市場は郊外に移転させられるか、新たな関税引き上げか、右ハンドル禁止後に自ら店をたたむことになる。
しかし、地元市民はそんなシナリオを毛頭信じていない。たとえ左ハンドル車への乗り換えが続出しても、やはり大半の人は右ハンドル車を見捨てずに乗り続けるだろう。
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