ソチ11日目「もうひとつの現実」

ミハイル・モルダーソフ撮影

ミハイル・モルダーソフ撮影

すべてが日常化している。この不思議な生活リズムに皆すっかり慣れて、ずっとこうだったような錯覚すら覚えている。

 早朝の起床、電車やバスでの果てしない移動、数えきれないほどの保安検査、競技、深夜の帰宅、ずっと続く心地よい疲労感・・・私の仲間も同じように感じ ている。これからどうやって現実の世界に戻るのか見当もつかない。ソチでは自分が別の現実の世界にいるような感じがする。いつもの日常的な問題もなく、仕事もなく、勉強もなく、日常的な忙しさもなく、新しい責任と娯楽がある。

 完全に守られてるって感じるから、その非現実的な現実感が強くなってくる。五輪が始まるまでは、安全性についての話ばかりで、誰もが自分や自分の家族や友だちのことを心配してた。五輪の安全を確信できないからといって、ソチ行きをやめた人も知ってる。だけど実際に着てみると、そんな心配はいらないとわかる。

 

封印列車ならぬ封印バス 

 ソチやクラスナヤ・ポリャナなど、五輪が行われているところはどこも、関係のない人が一切入れないようになってる。厳重な検査や身分確認にも数日たてば慣れてきて、余計な心配をしなくなってきて、やがて自分はきっと、世界で一番安全で保護された場所にいるんだと確信を持つようになってくる。バスに関係のない人が入り込んだり、不審物が持ち込まれたりしないように、毎回封印してる。それを笑っていたジャーナリストも、すぐに静かになった。冗談のネタになるかもしれないけど、追加的な検査に無駄な時間をかけることはできないのだし、遅れがあってもいけないから、そうやって封印されたバスで走ることが一番いい のだと思う。

 現実離れした現実の生活に、普段の生活でおかしいと思うようなことも普通に感じるようになった。責任者が無線電話で交通機関の担当者たちに時刻表の変更について連絡する時、「勝利おめでとう」で結んでることにも、誰も驚かなくなった。これを聞いて思うことは、今の時間だと、どの競技の勝利だろうってことぐらい。国中が注目するアイスホッケーの試合の時間だったら、そんな疑問すらわいてこない。

 

隣のベッドに寝てるのは誰かな? 

 リュージュかフィギュアかなんて、テレビのリモコンを取り合いしている人をプレス・センターで見たって驚かない。フィギュア・スケートを途中まで見終わってからシフト交替してもいいよ、なんて許されても、驚かない。バスの停留所で世界中のマスコミやスポーツの関係者を見ることも普通になった。そして、 通行証に知っている名前を見つけても驚かなくなった。ルームメイトのシフトの時間がまったく違うせいで、隣のベッドで寝ている人の顔すら知らなくても、気にならない。

 これが私たちの普通の生活。少なくとも五輪が終わるまでは。 

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