最も“甘美な”サクセスストーリー

写真提供:rok1966/flickr.com

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ロシア人は、人生がうまくいっていると、「フショー・フ・ショコラージェ(すべてがチョコに包まれている)」などと言う。こんなことを言うと、その道の苦労を知るチョコレート職人には皮肉に聞こえそうだが、菓子職人モロゾフ家の物語は、日本へ渡ったロシア出身者の最も甘美なサクセスストーリーの一例と言えるのではなかろうか。しかも、ロシア人は、聖ヴァレンタインデーにチョコレートを贈る日本の慣例は同胞が考えついたと信じている。

 たしかに、日本には2月14日をチョコレートで祝う慣習が1958年から正式に存在しているが、1936年にその先鞭をつけたのは、その名前から分かるように亡命ロシア人によって創始された神戸の製菓会社モロゾフだった。しかし、事はそう簡単ではなかった。

 

亡命ロシア人が行商からスタート 

 革命後に日本へ押し寄せた亡命ロシア人の多くは、日本語が分からず、もっぱら「行商」に明け暮れて、板台にのせた織物や金物を町から町へと売り歩いていた。その次に人気があったのが、「スイーツ」ビジネス。その背景には、ロシア革命前のチョコレートのブランド(「ロマノフ・チョコレート」なるものまであり、駐日ロシア大使ドミトリー・アブリコーソフは、「モスクワのチョコレート王」の後継ぎだった)、日本における未発達な製菓工業、そして、欧米からチョコレートを輸入するための保冷手段の欠如といった要因があった。

 亡命ロシア人フョードル・モロゾフ(1880~1971)も、最初は「行商」にいそしんでいたが、1926年に神戸に自家製の菓子を売る小さな店を開き、一年早くそうした店を出していた別の亡命ロシア人マカール・ゴンチャロフと競い合うようになった。この二つの会社は、日本で同時に「ロマノフ・チョコレート」を作りはじめ、大成功を収めた。

 しかし、ゴンチャロフもモロゾフも日本資本が参加する株式会社を組織し、1930年代初め、両社の日本人パートナーたちは、ロシア人創業者たちと対立し、裁判を通して会社を奪ってしまった。その後、ゴンチャロフは、日本に対する反感を抱いたままこの国を後にし、今日、「ゴンチャロフ」社は、ブランド名のほかには何もロシアのルーツを感じさせない。

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聖ヴァレンタインデーの慣例も着想?

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 「モロゾフ」社のほうも、ロシアの伝統とのつながりを失ったが、フョードル・モロゾフは、日本に留まり、新しい会社を創った。最初は、息子のヴァレンティン(1911~1999)に因んで「ヴァレンティン」という名前の会社を。太平洋戦争時の米国による空襲で神戸の町は焼け野原となり、モロゾフ家の工場も灰燼に帰し、1945年の終戦の後、ビジネスはまた振り出しに戻り、今度は「コスモポリタン」というブランド名が誕生した。

 しかし、モロゾフ家の工場にとって新たな経済危機は米国の空襲よりも手ごわく、2006年、同社は、自主廃業に追い込まれた。

 日本の早春の風物詩となった2月14日に男性にチョコレートを贈るという「商法」を考えついたのは、モロゾフ家の工場の後継ぎである25歳のヴァレンティンだった。真偽のほどは定かでないが、ロシア人は、ロシア人が日本のスイーツ史の一頁を飾っていることを誇りに思っている。というのも、チョコレートを男性に贈る慣習を誰が考えついたかはともかく、モロゾフのチョコレートは日本でも最高級とみなされているのだから。1947年、その工場は、宮内庁の御用達を賜わってもいるが、大事なのは、モロゾフのチョコレートが日本の国民に永く愛され続けていることだろう。