今や日本のメディカル・ブランド

先ごろ北アイルランドで開催されたG8サミット(主要国首脳会議)では、イギリスの医師たちが代表団員らの体調に気を配ったが、2000年の沖縄でのG8サミットでは、亡命ロシア人医師エフゲニー・アクショーノフ氏が、日本を代表して、フォーラムの主任医師を務めた。
ウラジーミル・ヤンチェンコ撮影
ウラジーミル・ヤンチェンコ撮影

 1917年のロシア政府首班 リヴォフ公爵の親戚

  アクショーノフ氏は、多くの第一波の亡命ロシア人に典型的な運命をたどった。父親は、1917年のロシア政府の首班であるリヴォフ公爵の親戚にあたり、シベリアに金坑を、ウラジオストクに家屋を所有していた。第一次世界大戦に参加したのち、コルチャーク軍の一員としてボリシェヴィキと戦い、満洲へ逃れ、その地で1924年に誕生した息子のエフゲニーが育った。

 少年は、フランス系の学校へ通い、日本語の補習授業を受け、英語のほかドイツ語や中国語も少し話すことができた。1942年、エフゲニーは、満洲国軍に召集されることになっていたが、応召したロシア人には良くてもソ連国内で暗躍する破壊工作員に仕立て上げられるという悲惨な運命が待っていたため、逃亡を決意した。どこへ? もちろん日本へ!

 すでに日本語に通じていたエフゲニーは、1943年3月に東京へ渡るべく、自分の一族の幅広い人脈を利用した。1941年に満洲のアクショーノフ家の養馬場を訪れてエフゲニーの堪能な日本語と豊富な学識に目を瞠った昭和天皇第二皇子の岳父である津軽義孝伯爵も、その一人であった。

エフゲニー・アクショーノフ氏

1924年3月5日、ハルビン生まれ。

早稲田大学国際学院の予科で日本語を学び、1944年、津軽の勧めで東京慈恵会医科大学専門部に入学。

戦時中は陸軍省宣伝部に乞われて戦意高揚映画にスパイ役で出演し、『重慶から来た男』『マレーの虎』『ハリマオ』などの映画で準主役を演じた。

戦後は占領軍司令部通訳や米軍陸軍病院病院などで勤務。

1953年、六本木でクリニック開業。1956年、現在地の麻布台にクリニックを移転。

英語、中国語、ロシア語、ドイツ語、日本語、現代ギリシャ語の6つの言語を使いこなす。

専門は外科、特に腹部外科。

 

 開けてびっくり玉手箱

  伯爵の縁故で、青年は、早稲田大学に入学し、一年後、東京慈恵会医科大学に進む。このロシアの学生は、今日の多くの在日ロシア人と同じように、映画に出演して外国人役を次々にこなしながら生活費を稼いでいた。

 1945年、マッカーサー率いる占領軍の将校たちは、数ヶ国語を操る若いロシア人医師に目を留めた。それは、マッカーサーの司令部に何人か有力なロシア人がいて司令官のお抱えの医師がロシア人であったことにもよる。

 アクショーノフ氏の医師としての歩みは、アメリカの諜報部が徳川家康の墓地に細菌兵器のサンプルが隠されているとの情報を入手した1945年秋に始まった。アメリカの諜報部員たちが、若い医師に伴われて密かに霊廟を開けてみると…。アクショーノフ医師は、私にこの話をしながら笑ってこう言った。「青い布切れのほか、何にもなし!」。

 ほどなく、エフゲニーは、東京の連合軍の主要病院の医学図書館長となり、そこで、自分の教育や医療の実践を続けていった。

 

 東京裁判の被告人の健康管理を担当 

 1947年、アクショーノフ氏は、松岡洋右、梅津美治郎、松井石根、小磯国昭、東郷茂徳、白鳥敏夫といった、極東国際軍事裁判(東京裁判)の被告人の健康管理を担当した。

 朝鮮戦争に参加したのち、アクショーノフ氏は、東京へ戻り、在日米国商工会議所のクリニックの国際医師チームに加わり、1950年代末、麻布台のソ連(現ロシア)大使館の向かい側にある亡命ロシア人の家にインターナショナル・クリニックを開設した。

 半世紀にわたる医療活動の間に、アクショーノフ医師は、世界中で知られるいわば日本のメディカル・ブランドとなった。

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 マドンナやマイケル・ジャクソンのかかりつけの医師

  向かい側にある大使館のソ連人外交官たちがつねに氏に対して嫌疑を抱いていたにもかかわらず、ソ連の大臣や大使たちは氏の診察を受けていた。とはいえ、氏の主なクライアントは、世界的人物であり、バレリーナのオリガ・レペシンスカヤ、音楽家のムスチスラフ・ロストロポーヴィチ&ガリーナ・ヴィシネフスカヤ夫妻、ポップアイドルのマドンナやマイケル・ジャクソン(その訃報に接した際、医師は「薬に溺れないように注意したのですが…」と悔やんだという)、政治家のジャック・シラクやウラジーミル・ジリノフスキーらが、氏の患者となった。

 けれども、ニコライ堂や目黒のアレクサンドル・ネフスキー聖堂によく足を運んでいるアクショーノフ医師のもとには、日本で暮らす一般のロシア人も訪ねてくる。

 

 亡命ロシア人の顔

  在日亡命ロシア人を専門に研究している青山学院大学のピョートル・ポダルコ教授は、こう語る。「アクショーノフ氏は、近年、日本のロシア人ディアスポラのいわば中心人物となっており、彼一人の存在が、亡命ロシア人のイメージにかなり影響しています」。

 エフゲニー・アクショーノフ氏は、かなり以前から権威あるベストドクターズ社のメンバーであり、その人道的な医療活動が評価されて、日本赤十字社金色有功章や吉川英治文化賞を授与されている。人々が芸者や茶会のためだけでなく、医療など人間に関する複雑な知識の分野で最新の成果に与るために日本を訪れるよう、氏は尽力し続けている。

 

 「神父、あなたのクライアントがまたひとり

  筆者は、89歳という高齢にもかかわらずオプチミズムにあふれ、旧き良きロシア貴族の高潔さとコミュニケーションにおける「世界的人物」の庶民性を併せもつ、この驚くべき人物と何度かお会いする機会に恵まれたが、アクショーノフ医師は、ずば抜けたユーモアの感覚もそなえている。

 もう一人の東京在住のロシア人長寿者であるリュボーフィ・シヴェーツさんの名の日のお祝いの際、来日して急患となったあるVIPから呼び出しを受けたアクショーノフ医師は、聖職者のニコライ神父にこう言った。「急がないと、神父、あなたのクライアントがまたひとり…」。こんな医師なら冗談も薬になりそうだ。

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