=アントン・パニン撮影
「俺はムルマンスクに3昼夜いたよ」。北極圏地方で3年間勤務した軍人たちがそんなふうに話す。その訳は、ここでは1年が極夜と白夜に分けられるからだ。
極夜は、太陽が沈まずにひねもす宙に漂う白夜よりはるかに憂鬱で、ムルマンスクではこの冬、12月3日から1月11日にかけて太陽が昇らない日々が続いた。一番明るい時間帯でも薄闇に包まれて太陽は全く顔を見せない。
ここには四季があるようでない。それはメキシコ湾流と北極が近いせいだ。12月に気温が氷点を上回り雨が屋根をたたくこともあれば、6月あるいは7月に雪が降ることも珍しくない。午前は冬で午後は夏のような5月には、ミンクのコートをまとい、ブーツを履いた乙女がTシャツに短パンという若者と腕を組んで歩く姿も見られる。
1942年の夏、ファシストによる爆撃で木造家屋ばかりのこの町の4分の3が焼失した。ムルマンスクは792回の空襲で18万5000発の爆弾にさらされた。スターリングラード(現ボルゴグラード)に次ぐすさまじい爆撃だった。
アメリカのジャーナリスト、デイブ・マルローは雑誌『ハーパース・マガジン』にこう記した。「爆弾で壊され火災で崩れた家屋。ロシア人でなければここに踏みとどまれない。いつか平和が訪れるなら真っ先にムルマンスクを訪れてほしい。彼らはそれに値したのだから」
その功績でムルマンスクは1982年に祖国戦争一級勲章を受け、3年後には「英雄都市」の称号を授与された。
生粋のムルマンスクっ子のアンドレイさんはこう話す。「私たちは火薬庫の上にいるようなもの。近くに北方艦隊の基地セベロモルスクや原子力潜水艦の基地、市内には原子力砕氷船の基地、さらにポリャルヌイエ・ゾーリには原発がありますから」
戦略的に重要な港湾をかかえた要衝・ムルマンスク。その市民たちにとっては極夜や烈風、着氷した斜面や北方手当のある故郷である。
地元の人々はこの町をフランス語をもじって「モナモールマンスク(わが愛しのムルマンスク)」と呼ぶ。そして、ただ天を振り仰ぐだけで、極夜の魅力と言えるオーロラを目にすることもできる。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。