マリア・シャラポワが帰ってきた

マリア・シャラポワ

マリア・シャラポワ

ロイター通信
 4月26日、女子テニスのマリア・シャラポワが、禁止薬物のメルドニウム使用による、15カ月間の出場停止処分からの復帰戦に勝利。30歳の元世界女王は、女子テニスのポルシェ・テニス・グランプリ(ドイツ・シュトゥットガルト)のシングルス1回戦で、世界ランク36位のロベルタ・ビンチ(イタリア)を簡単に退けたが、この試合のマスコミ報道は過熱気味だった。ロシア国内について言えば、ロシア人がこの女子テニス選手を愛し、そのスポーツキャリアと生活ぶりに関心をもたざるを得ない理由が、少なくとも5つはある。

1.コートでの勝利

 シャラポワは女子テニスの世界ランキング1位に上りつめた最初のロシア人だ。それは2005年のことで、彼女はまだ18歳だったが、その時点までにWTAツアーで10勝を挙げており、その中には、1年前のウィンブルドンでの優勝も含まれていた。この時シャラポワは、既に4大大会を何度も制してきたセリーナ・ウィリアムズに対してセンセーショナルな勝利をおさめる。以来シャラポワは4大大会を5回制している。

 

2.性格

 勝利への意志はシャラポワの目立った性格の一つだ。この選手は最後の最後まで戦い抜き、絶望的な試合をひっくり返すこともある。「途中で試合を投げ出すのは好きじゃないし、そんなことは私にはできない」とシャラポワは自分の性格について言う。

 こういう性格は、言葉だけではなく、生活の他の面にも現れている。2007年にシャラポワは、肩に慢性的な故障があることが判明し、翌2008年に難しい手術を受けた。この肩の故障のせいで、キャリアを終えねばならない恐れも十分あり、北京五輪を含め、1年間試合を休んだ。しかし、この不本意な休養の後では、今回の出場停止の後と同様に、見事にコートに復帰した。

 シャラポワの負けん気はプレースタイルにも現れており、アグレッシブベースライナーだ。彼女の最強の武器は、ベースラインの深いところから強烈なショットを深々と打ち込むことだと指摘されている。

 

3.ロシアへの態度

 シャラポワが既に長年アメリカで生活しトレーニングしていることを考えると、ちょっと矛盾して聞こえるかもしれないが、彼女は常々、自分はあくまでもロシア人だと強調している。「私にはロシア人の血が流れている。家庭ではロシア語で話すし、自分のことはロシア人だと思っている。アメリカ人だとは思っていない。でもロシアに行くと、ちょっと風変わりな気がすることはあるけれど」と彼女は認めた。

 2012年7月27日、ロンドン五輪開会式で、シャラポワは旗手を任せられた。ロシア選手団史上初の女性旗手だった。シャラポワが国際大会でロシア代表としてプレーし始めたのは2007年からのことだ。

 

4.セリーナ・ウィリアムズとの長く熱い戦い

 シャラポワと“天敵” セリーナ・ウィリアムズとのバトルは、2004年ウィンブルドンで始まったと言える。両者はコート上で21回戦い、セリーナが19勝。シャラポワが勝ったのはたったの2回だけで、いずれもはるか昔の2004年のことだ。

 二人の関係は近年ギクシャクしている。2013年にセリーナが試合後に腫れた足関節の写真を公表すると、シャラポワは、「そのうちテニス選手たちは、レントゲン写真やMRI、超音波エコーの映像なんかも、ぜんぶさらすようになるんじゃないかな」と皮肉った。

 また、このころまでにシャラポワは、セリーナの元カレ、ブルガリア出身のテニス選手グリゴール・ディミトロフと付き合うようになっていたのだが、セリーナは、シャラポワの当てこすりへのお返しとばかり、あるインタビューで、「彼女にはうんざりだ」と言い、ディミトロフについては「黒いハートの持ち主」だと決めつけた。

 両者に近い人たちの話では、「要するにセリーナはマリアが嫌い」だというのだが、それでもこのことは、シャラポワがセリーナの妊娠を祝福する妨げにはならなかった。「これは女性が受け取れる最高の贈り物の一つ」だと彼女は言った。

 

5.ビジネスと慈善活動

 シャラポワは、10年以上にわたり、世界で最も高収入を得ている女子スポーツ選手だと米フォーブス誌に認められてきたが、昨年だけは、同誌は、2890万ドル稼いだセリーナ・ウィリアムズを一位とした。シャラポワは、同誌によれば、セリーナより700万ドル少なかった。

 これはシャラポワがドーピング・スキャンダルでいくつかの広告契約を失ったことと関係しているかもしれない。昨年3月には、スイスの時計メーカー「TAG Heuer」がシャラポワとの広告契約を延長しないと発表。だが、彼女の大口スポンサー2社、テニスラケットその他のスポーツ用品を作っているHEADとナイキは、シャラポワとの契約を継続し、バックアップ。

 また、シャラポワには、自分で立ち上げたブランド「シュガーポワ」があり、もう5年間、キャンディーやガムを生産している。

 彼女は10年以上、慈善事業も行っており、「マリア・シャラポワ基金」を創設。これは、チェルノブイリ原発事故の現場付近で生まれた人たちを援助している。彼女がこういう活動を行うにあたっては、彼女の両親が、原発事故の被害を受けた地区(ベラルーシのゴメリ〈ホメリ〉州)で育ったことも手伝っている。事故のため両親は、娘マリアが生まれる2か月前にシベリアに移住していた。 

 

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