ミハイル・モルダーソフ撮影
建築800件、道路、鉄道も!
ダリア・アクロワさん(音楽家)
「あの夜、私は友達と広場にいました。IOC(国際オリンピック委員会)がソチ開催を発表すると、私達たちきゃあきゃあ叫びだしました。隣の男性がいきなり私を抱きかかえて回りだした。当時はまだ、五輪の準備期間に何を体験するのか、想像できませんでした」
以来、街の生活は激変した。ソチでは約800件の建築工事が始まり、閑静な保養地は数万人の建設労働者が五輪施設を造るアリ塚に変貌した。
しかも、国の計画は現代的なスポーツ施設だけでなく、事実上、新たな都市をまるごと建設することだった。
この準備期間に、8つの立体交差、総延長400キロ近い道路、数十のトンネル、橋、鉄道支線が造られた。
ビャチェスラフ・クズネツさん(運転手)
「路線と交通標識が頻繁に変更され参った。7分で着くところが3時間もかかった。外国人労働力なしでは不可能な大規模建設です。中央アジア出身の労働者数万人が滞在許可の切れる昨年秋まで、鉄筋コンクリートを組み、ペンキを塗り、道路を清掃していました」
エレーナ・マルキヤノワさん(教員)
「ソチ五輪のおかげで、私は今新しいアパートに住んでいます。市が都心にとても良い新居を提供してくれました。私の聞いたところでは、多くの教員、医師、軍人、若い家族たちが、五輪の準備期間の最中に、引っ越し祝いをしました」
ラリーサ・コワレンコさん(企業家)
「途方もない交通渋滞。1本の道路を造っている間、隣接道路数本を止めていた。マイクロバスから降り2キロほど歩き、また何か市内交通を使って、また降りて歩きという具合。今では電車が開通し、市内は短時間で移動できます」
古い送電線を交換し、停電も当たり前になった。現在、電力供給は十分ある。クデプスタ村にもう一つ変電所を造る予定だったが、地元住民が環境破壊につながるとして反対し、凍結された。
ワシリー・トルストイさん(企業家)
「私が経営する食料品店では、まだロウソクが置いてあります。最近のソチでは必需品です。電圧がすごく低いので、電灯もろくにつかない。洗濯機とか電気ポットとかドライヤーとかはお話にもなりません。電子レンジにいたっては、2年間全く使えず、3年目に親戚にあげました」
五輪まであと半年というあたりで、状況が良くなってきた。停電が少なくなり、電圧は上がった。
商業施設の建設は進み、中心部の高級高層マンションと格安住宅、郊外のセカンドハウス区画は完成した。アドレル地区ではボランティア用の宿舎が建てられた。
五輪後に住環境の悪いソチ市民に無料で供給されることになっている。
エレーナ・イワノワさん(家政婦)
「毎週、役場の職員がやって来て、屋根と家を塗り替えろと要求していました。問答無用という態度です。やむなく、借金しました(有利な条件で)。隣の年金生活者はもっと幸運でした。無料で建物の正面を改修してもらえた。スポンサーが見つかったらしい」
オレグ・ステコリニコフさん(車椅子使用者の社会団体「ストイク」議長)
「ソチ市では、身障者が社会の配慮を実感できるよう、あらゆることがなされつつあります」
保養都市ソチはサナトリウムや鉱泉などで有名だった。五輪後は、ホテルの客室が増えたおかげで2倍もの旅行者を受け入れることができる。
ソチの生活水準は上がった。24時間営業のショッピングモールがいくつも開店し、多くの地区に映画館、レストラン、カフェ、ボウリング場などがオープンしている。
五輪開催に伴い、ソチは禁煙の街となった。公共施設周辺やほとんど飲食店では喫煙禁止。違反すると、ロシアの法律により警察が罰金を科すことができる。今のところ、そうしたケースはない。
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