2006年のトリノ五輪の金メダリストで2002年と2010年の両五輪の銀メダリストであるエフゲニー・プルシェンコは、こう豪語する。「前人未到の域に達したいですね。三度のオリンピックなら他の選手も滑っていますが、四度となるとまず不可能です。私にそれができるのは、はっきり言って、唯一無比のスケーターだから。私は、控えめな人間です…。でも、神様は、才能と根気とスケートへの愛を私に授けてくれました」。
エフゲニー・プルシェンコは、史上初めて、4回転トゥループ・トリプルトゥループ・トリプルリットベルガー(トリプルループ)という連続技を競技会(2002年のロシア杯)で成功させ、男子で初めて、ビールマンスピンを披露した。
2013年初め、椎間板の置換手術を受け、医師に引退を勧められるも、自分のジャンプを取り戻し、みごと銀盤に返り咲いた。
公平を期するなら、スウェーデンのギリス・グラフストロームは、四度の五輪に出場し、三つの金メダル(1920、1924、1928年)と一つの銀メダル(1932年)を獲得しており、2005年の世界チャンピオンであるフランスのブライアン・ジュベールも、ソチが自身四度目のオリンピックとなる。
代表選考の舞台裏
フィギュアスケート男子シングルのたった一つの出場枠をめぐる熾烈な争いのさなか、プルシェンコは、ロシア国内選手権で18歳の新鋭マクシム・コフトゥンに敗れた後、ソチ五輪における役割についてこんな発言もしていた。「私は団体戦に出場し、将来性のある若手はシングルで力を試せばいいでしょう」。
そのとき、プルシェンコのコーチであるアレクセイ・ミーシンは、不覚をとった教え子の感情的な発言を聞き流すよう周囲に求め、冷静さを取り戻したプルシェンコは、代表争いはまだ終わっていないと述べた。コフトゥンは、ソチ五輪直前の欧州選手権で自分の実力を証明したかったが、プレッシャーに負けてセルゲイ・ヴォロノフとコンスタンチン・メニショフに劣る五位に沈み、ヴォロノフとコフトゥンは、まさにこの順番でソチ五輪の補欠となった。
一方、プルシェンコは、選考テストにみごと合格し、ミーシンは、教え子を高く評価して、こう語った。
「今日の滑りは、バンクーバーのときよりも良かったくらいです。持てる力を最大限に発揮し、きれいな4回転トゥループ、4回転+3回転のトゥループの連続技、二つのトリプルアクセルを見せてくれました。やや緊張していたせいか、最初はちょっと手をついてしまいましたが、その後のトリプルルッツとトリプルサルコウは完璧でした。情感に溢れたスケーティングは、まさにプルシェンコの真骨頂。国じゅうが、プルシェンコの五輪出場を待ち望んでいます。日本の大勢のファンも、ほっとしたことでしょう。ジェーニャが出ないならソチへ行かないという人もいたそうですから」。
プルシェンコ本人も、意気盛んにこう話す。「コンディションはよく、幸い古傷も気にならず、オリンピックでは、2月の6日と9日の団体と13日と14日のシングルという四つのプログラムすべてを滑り切る自信があります」。
ナンバーワン候補
専門家の多くは、現状ではプルシェンコが最も代表にふさわしいとの考えで一致している。
2006年のペアのオリンピックチャンピオンであるマクシム・マリーニンは、フィギュアスケート連盟とスポーツ省の決定を支持し、こう語る。
「オリンピックで何よりもものを言うのは、若さではなく経験です。マクシム・コフトゥンもすばらしい選手ですが、現状ではジェーニャ・プルシェンコを出場させるのが一番でしょう。少なくとも、彼ならある程度は結果が読めます。男子シングルの勝負は「水物」なので、優勝やメダルに手が届くかどうかは別として…」。
世代交代
プルシェンコの時代は終わったという人もおり、アメリカのフィギュアスケート選手ジョニー・ウィアーは、こう語る。「私は、プルシェンコの大ファンです。彼は、これまでに、フィギュアスケート界に計り知れない貢献をし、スポーツ界に革命を起こしました。彼が偉大な選手であることは間違いありませんが、すでにカナダや日本の若い選手に大きく水をあけられた感があります。ベテランに新技を教えることもできますが、それはまさに至難の業です」。
エフゲニー・プルシェンコは、史上初めて、4回転トゥループ・トリプルトゥループ・トリプルリットベルガー(トリプルループ)という連続技を競技会(2002年のロシア杯)で成功させ、男子で初めて、ビールマンスピンを披露した。=ビデオ提供:YouTube
ウィアーは、これまですでに三度世界チャンピオンとなっているカナダのパトリック・チャン(23歳)やグランプリファイナルを制した羽生結弦(19歳)というどちらも審判団から一度ならず記録的な採点を与えられている選手の名を挙げている。チャンの記録は、総合の295,27とFS(フリースケーティング)の196,75、羽生の記録は、SP(ショートプログラム)の99,84だが、ISU(国際スケート連盟)ジャッジシステムで、プルシェンコの自己最高は、263,25。
プルシェンコ陣営のメダル予想が控えめなのは、もしかするとそのせいかもしれない。ミーシンは、どこかはぐらかすようにこう語る。
「ジェーニャとは、周到なプランに沿って着々と準備を進め、スタートの時期も慎重に選びました。オリンピックという檜舞台に照準を合わせて。なにも、五輪の金メダルだけが目標ではありません。肝心なのは、オリンピックでロシアの代表を立派に務めることです」。
プルシェンコ本人は、自らの目標についてこう述べる。「ソルトレークシティではまだ青二才で、トリノでは自分の夢を叶え、バンクーバーでは優勝を逃して採点に疑問を感じましたが、ソチでは順位を気にせずに自分の滑りをしたいと思っています」。