イシンバエワが金でしばしのお別れ

2度のオリンピックで金メダルを獲得し、28回世界記録を更新している、棒高跳びのエレーナ・イシンバエワ選手(31)は、世界陸上モスクワ大会で、世界チャンピオンの名を取り戻し、有終の美を飾った。イシンバエワは、「子づくりのため」、長期休暇に入る。

イシンバエワ時代に区切り 

 「ルジニキ」スタジアムの棒高跳びのコーナーで13日に起こったことすべてが、注目の的だった。そしてここで一つの時代が一旦幕を閉じた。偉大なるエ レーナ・イシンバエワの時代だ。

 無名だったイシンバエワは1999年、ポーランドで行われた世界ユース陸上競技選手権大会で初めて金メダルを獲得。その後 オリンピックで2回、夏季・冬季世界選手権大会で6回金メダルを獲得し、28回の世界新記録を更新。どの大会でも、世界中がイシンバエワの勝負を固唾をのんで見守っていた。

 

足の故障に苦しみ、ロンドンは銅 

インフォグラフィック:

世界陸上競技選手権大会

 最後の活躍は2008年の北京五輪だったが、13日も勝利が期待された。前回の世界陸上大邱大会では表彰台に立つことができず、昨年のロンドン五輪は銅メダルで終わった。エヴゲニー・トロフィモフ・コーチは、イシンバエワが春の練習中に世界記録となる5m11を跳んだことを話したが、シーズンの大会では 4m78をこえていなかった。その代わり、ロンドン五輪の金メダリストであるアメリカのジェニファー・サーと、4m90の自己ベストを持つキューバのヤリ スレイ・シルバが活躍していた。

 さらにイシンバエワには健康問題があった。足の故障によって、一ヵ月半もふだんの練習ができず、本人もコーチも、うまく調子をピークにもっていけるかどうか分からなかった。こうした状況を考えると、戦前には、メダルをとれると確信できる状態にはなかった――ましてや金メダルを。

 

4m89をきれいに跳んで優勝! 

 今大会では、まず4m65に、イシンバエワは登場した。それまでに他の6人の選手は、それ以下の高さをいくつかクリアしていた。1回目は失敗したものの、2回目はバーのはるか上を跳んだ。次の4m75は、軽快かつリラックスして、楽しみながら跳んだ。だがこれはジェニファー・サーもクリアし、ここでサーが1位を取る。

 この時点で残ったのはドイツのシルケ・シュピーゲルブルグ、イシンバエワ、サー、シルバの4人。だが4m82でどの選手もスタートがうまくいかず、イシ ンバエワが2回目の挑戦で最初にクリア。サーも何とかクリアした。シルバは3回挑戦し、この最後の跳びで銅メダルを獲得。シュピーゲルブルグはここで失敗し、4位に終わった。

 金メダルはサーとイシンバエワの2人が争うことに。イシンバエワは4m89をきれいに跳んで観客を熱狂させ、サーの3回の失敗がさらに会場を盛り上げた。イシンバエワ優勝!7回目の今大会が最後にならないように願うばかり。

 

「この金メダルの価値を知っている人は・・・」 

 「私にもっとも近しい人たちだけが、この金メダルの価値を知っている。もっとも価値が高く、望まれたメダルに違いないわ。長いこと勝つことができないで いた。2008年の北京五輪からモスクワまでの道のりは長かった。私のファン、大好きな人たち、そしてエヴゲニー・トロフィモフ・コーチの支えがなかったら、こんな風にうまくいかなかったはず」と大会後にイシンバエワは話した。

 「4m65の1回目で失敗したけど、コーチも私も心配しなかった。この大会の前に3回しか跳んでいなかったから、無理がなかったの。4m89を1回目で 成功させた時、優勝したとわかって感情が湧きあがってきた。4月29日に練習で5m11を成功させていたし、コーチが私は肉体的に5m15を跳べる状態に あるって話していたし。コーチを信じているから」。

 

自分の家族をつくって子供を産みたい 

 イシンバエワが引退するという噂はあったものの、ファンには復帰の望みを残した。「今シーズン、商業的にいくつか跳ぶだろうけど、世界選手権は最後になると思う。何よりも自分の家族をつくって子供を産みたいの。その後で戻りたくなったら、2016年リオデジャネイロ五輪のみを目指して準備するわ。 2015年の世界陸上北京大会には間に合わないわね」。

 

元記事(露語)

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