イシンバエワ時代に区切り
「ルジニキ」スタジアムの棒高跳びのコーナーで13日に起こったことすべてが、注目の的だった。そしてここで一つの時代が一旦幕を閉じた。偉大なるエ レーナ・イシンバエワの時代だ。
無名だったイシンバエワは1999年、ポーランドで行われた世界ユース陸上競技選手権大会で初めて金メダルを獲得。その後 オリンピックで2回、夏季・冬季世界選手権大会で6回金メダルを獲得し、28回の世界新記録を更新。どの大会でも、世界中がイシンバエワの勝負を固唾をのんで見守っていた。
足の故障に苦しみ、ロンドンは銅
最後の活躍は2008年の北京五輪だったが、13日も勝利が期待された。前回の世界陸上大邱大会では表彰台に立つことができず、昨年のロンドン五輪は銅メダルで終わった。エヴゲニー・トロフィモフ・コーチは、イシンバエワが春の練習中に世界記録となる5m11を跳んだことを話したが、シーズンの大会では 4m78をこえていなかった。その代わり、ロンドン五輪の金メダリストであるアメリカのジェニファー・サーと、4m90の自己ベストを持つキューバのヤリ スレイ・シルバが活躍していた。
さらにイシンバエワには健康問題があった。足の故障によって、一ヵ月半もふだんの練習ができず、本人もコーチも、うまく調子をピークにもっていけるかどうか分からなかった。こうした状況を考えると、戦前には、メダルをとれると確信できる状態にはなかった――ましてや金メダルを。
4m89をきれいに跳んで優勝!
今大会では、まず4m65に、イシンバエワは登場した。それまでに他の6人の選手は、それ以下の高さをいくつかクリアしていた。1回目は失敗したものの、2回目はバーのはるか上を跳んだ。次の4m75は、軽快かつリラックスして、楽しみながら跳んだ。だがこれはジェニファー・サーもクリアし、ここでサーが1位を取る。
この時点で残ったのはドイツのシルケ・シュピーゲルブルグ、イシンバエワ、サー、シルバの4人。だが4m82でどの選手もスタートがうまくいかず、イシ ンバエワが2回目の挑戦で最初にクリア。サーも何とかクリアした。シルバは3回挑戦し、この最後の跳びで銅メダルを獲得。シュピーゲルブルグはここで失敗し、4位に終わった。
金メダルはサーとイシンバエワの2人が争うことに。イシンバエワは4m89をきれいに跳んで観客を熱狂させ、サーの3回の失敗がさらに会場を盛り上げた。イシンバエワ優勝!7回目の今大会が最後にならないように願うばかり。
「この金メダルの価値を知っている人は・・・」
「私にもっとも近しい人たちだけが、この金メダルの価値を知っている。もっとも価値が高く、望まれたメダルに違いないわ。長いこと勝つことができないで いた。2008年の北京五輪からモスクワまでの道のりは長かった。私のファン、大好きな人たち、そしてエヴゲニー・トロフィモフ・コーチの支えがなかったら、こんな風にうまくいかなかったはず」と大会後にイシンバエワは話した。
「4m65の1回目で失敗したけど、コーチも私も心配しなかった。この大会の前に3回しか跳んでいなかったから、無理がなかったの。4m89を1回目で 成功させた時、優勝したとわかって感情が湧きあがってきた。4月29日に練習で5m11を成功させていたし、コーチが私は肉体的に5m15を跳べる状態に あるって話していたし。コーチを信じているから」。
「自分の家族をつくって子供を産みたい」
イシンバエワが引退するという噂はあったものの、ファンには復帰の望みを残した。「今シーズン、商業的にいくつか跳ぶだろうけど、世界選手権は最後になると思う。何よりも自分の家族をつくって子供を産みたいの。その後で戻りたくなったら、2016年リオデジャネイロ五輪のみを目指して準備するわ。 2015年の世界陸上北京大会には間に合わないわね」。