ロシアのショートトラック選手チーム =ロシア通信撮影
1月のスノーボード世界選手権大会で米国出身のビック・ワイルド選手がメダルを獲得し、3月8日から10日にかけて開催されたショートトラック・スピードスケート世界選手権では、韓国出身のビクトル・アン選手が、ロシアチームにとって世界選手権史上最高の成績を挙げた(ショートトラックとは、アイスホッケー場などの室内スケートリンクを会場に行われるスピードスケート。1992年よりオリンピック種目)。今や、「我々にメダルがこんなに必要か」という言葉が力強く湧き上がってくるのは明白だ。
韓国の王者の挫折とロシアでの復活
韓国出身のショートトラック選手ビクトル・アンの元の名前はアン・ヒョンス(安賢洙)。2000年代前半に彼は、ショートトラックの歴史を代表する看板選手になった。オリンピックで3つの金メダルを獲得し、世界選手権では5年連続の総合優勝を果たしたのだ。2008年、アン・ヒョンス選手(当時23歳)は膝に重傷を負い、競争レベルを考慮して(韓国ではショートトラックは最優先スポーツ競技の一つなのだ)、「君のような選手は韓国にはたくさんいる。練習を積んだら、ひょっとしたら戻って来れるだろう」と言われ、代表から外された。
アン選手の父親がロシア・スピードスケート連盟にeメールを送り、双方が共通の理解に達した。負傷したアン選手に援助を申し出た連盟指導部は、アン選手は2年間、競技から離れていたので、もちろん、リスクを覚悟の上だった。これで全く結果が出ない可能性も大いにあった。
しかしアン選手は立ち上がり、心身両面で復活した。2011年12月28日、彼はロシア市民権を獲得し、「ビクトル・アン」という新しい名前になった。アン選手自身の言葉によれば、彼は新しい祖国も手にしたのだ。
空前の成績を収め、真の仲間に
最初の半年は生活順応に費やされ、真の復活が生じたのは今シーズン。アン選手は、すでに3度、ワールドカップ表彰台の最高位に立った。ロシアチームにとって史上初めてのヨーロッパ選手権男子リレー優勝の力になった。3月10日に幕を閉じた世界選手権大会では500メートルと男子リレーの2種目で銀メダルを獲得した。これはロシア・チームが世界選手権に出場した20年の歴史で最高の成績だ。それ以前では、まだソ連の時代に女子リレーで獲得したメダルが1個あるだけ。
この韓国出身選手は、ロシアの「身内」なのか、「身内でない」のか? もちろん、「身内」だ。「ビクトル・アン選手を応援する5つの理由」をまとめてみよう。
第1に、今はまだ日常会話レベルだが、彼はもうロシア語を話す。第2に、彼は韓国国籍を放棄した(韓国の新しい法律では、そうしないことも可能だったのだが)。第3に、ソチ五輪のあと、彼はロシアに留まり、スポーツ心理学の勉強をするプランを持っている。第4に、彼が勝利しメダルを獲得したあと、ロシア国歌が演奏され、ロシアの国旗が揚がる。第5に、ロシアのショートトラック選手らはアン選手と一緒に練習しており、彼らがめざすオリンピック・チャンピオンが養成されるのを自分の目で見ている。総じて言えば、「よそ者か、よそ者でないか、論じるまでもない。彼は仲間、仲間なのだ!」
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