引退したカナエワに聞く

=アントン・デニソフ/ロシア通信撮影

=アントン・デニソフ/ロシア通信撮影

引退を表明した新体操のエフゲニア・カナエワさんに、これまでの選手活動の総括と今後の計画について聞いた。

「無敵の選手はあり得ませんが、忘れられない選手はあり得ます。ずっとそんな選手になりたいと思ってきました」と、カナエワさんが夢いっぱいに語ったのは、2003年イオンカップ・ジュニアの部で初めて優勝した時ではなく、2回目の五輪で金メダルを獲得した昨年のことだ。新体操の選手として驚異的な活躍を続けてきたカナエワさんには、「無敵の」、「忘れがたき」、「比類なき」、「プリマ」、「女王」、「スター」といったさまざまな枕詞や名称がつけられた。誰もがロンドン五輪の後、次の勝利への期待で頭がいっぱいになった。

 

成長し続けることの苦しさ 

「みなさんはロンドン五輪の勝利の余韻に浸る間も与えずに、リオデジャネイロ五輪について聞くのですね。スポーツの世界では、今日スターでも明日はただの人です。ずっと変わらない状況なんてありません。一気にトップにかけあがり、それから4年間ずっとそれを維持するのはとても大変でした。北京五輪の前もたくさん練習をしましたが、これが終わるとすぐに、誰もが私の新たな活躍を期待しました。また、新体操の新しいスターが登場することも、多くの人が期待しました。人生はこれでいいということがありません。より派手な演技を探し、さらなる難しいエレメントを習得する必要がありました。つまり、成長を続けなければいけないということです。これは簡単ではありませんでしたが、一度は到達した五輪の頂上に、再びのぼるという目標があったので進むことができました。

カナエワの活躍

  • 2009年に日本で行われた三重世界新体操選手権で、6種目すべて(個人総合、ロープ、フープ、ボール、リボン、団体総合)で金メダルを獲得し、1992年にロシアの選手オクサナ・コスチナが残した記録(金メダル6個)を塗り替えた。
  • 2011年にフランス・モンペリエで行われた世界新体操選手権で、17回目の新体操世界一という快挙を達成。
  • 2011年10月16日にチェコのブルノで行われたブルノ・グランプリで、種目別リボンで30点満点を出した。
  • 2012年のロンドン五輪で、史上初となる2回目の五輪新体操個人総合優勝を果たした。

五輪以外にも他の頂上がある。カナエワさんは今、その頂上を目指しているようだ。大学を卒業し、英語を学び、全ロシア新体操連盟の副会長に就任する。

 

復帰への期待 

カナエワさんの個人コーチであるヴェラ・シュテリバウムスさんが、引退表明1ヶ月後に発表された正式な引退のニュースについてコメントしながら、復帰の可能性に触れたことは興味深い。

「コーチはまだ何も知りません。引退はしたものの、確信が持てないのです。例えばアリーナ・カバエワは引退表明から2年後に再び演技をしました」。

カナエワさんはしっかりと体づくりをしているから、復帰を決めたらまた勝てる可能性は高いが、どのような結果になるかを予測することは無理だ。

カナエワさんは競技している時、とても集中していて真剣だ。マスコミやファンは近づくことができない。観客の見ている前で楽々と演技をしているように見せるのは、とても困難な作業だが、力強さ、感情、笑顔をマットの上で見せることができてしまう。

 

「新体操は悦び」 

カナエワさんと個人的に話をすると、優れた新体操の名手というだけでなく、ざっくばらんでまっすぐな人だということが伝わってくる。

「競技で経験する感情は記憶に残り、時々波のように襲ってきます。このようなデジャヴュはおかしな感覚ですが、とても心地良いものです。メダルや賞は二の次で、ただホールにいて、練習をして、競技をすることが好きなのです。私にとって新体操は悦びに他なりません」。

流れるようなリボン、エネルギッシュなボール、ダイナミックなこん棒、柔軟なフープなど、カナエワさんはマットの上で自分を輝かせてくれる手具を愛してやまない。ショーでもいいから、もう一度カナエワさんの演技を見たいと願う。

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