『トレブリンカの地獄:ワシーリー・グロスマン前期作品集』

ワシーリー・グロスマン、ドイツ、1945年=

ワシーリー・グロスマン、ドイツ、1945年=

写真提供:waralbum.ru
 文学的伝統が豊かなロシアでも、20世紀以降の真の大作家となると、ごくわずかだろうが、ユダヤ系の作家ワシーリー・グロスマン(1905~1965)は、間違いなくそのうちの一人だ。20世紀という時代がもたらした衝撃の一つは、ごくふつうの人間が寄り集まって、かくも巨大な暴力、残虐行為をなし得るという事実だったわけだが、そのメカニズムが我々一人ひとりの人間の心に深く根ざしていることを、グロスマンは見抜いた。その意味で、彼の作品はきわめて現代的、いや普遍的な意義をもっているにもかかわらず、これまで日本では、彼の創作の全貌は紹介されなかった。その大きな空白が、この訳書をもってついに埋められることになったのは喜ばしい。

刊行:2017年5月

ワシーリー・グロスマン 著

赤尾光春、中村唯史 訳

みすず書房 刊

 みすず書房から、グロスマンの代表作『人生と運命』と『万物は流転する』、それから『後期作品集』(以上はすべて齋藤紘一氏の訳)が出たのに続いて、このたび、本書『前期作品集』も、赤尾光春、中村唯史両氏によるすばらしい翻訳を得て刊行の運びとなり、ようやく彼の全体像を見渡すことができるようになった。注と解説も充実している。

 

20世紀の『戦争と平和』

 グロスマンの畢生の大作は、大祖国戦争(独ソ戦)を舞台とした『人生と運命』。レフ・トルストイの『戦争と平和』にしばしば比べられるが、その内容からして、刊行は望むべくもなかった。ソ連での刊行は、ペレストロイカ末期の1988年のことだ。

 1万枚におよぶ膨大な原稿は、ソ連の秘密警察KGBに押収され、ようやく2013年になって、KGBの後身であるFSB(ロシア連邦保安庁)より、ロシア文化省に引き渡されている

 これは、グロスマンの作品が提起した問題の深さ、アクチュアリティーを物語るだろう。それは、あえて一言で要約すれば、世界には、人間にはいかに深く悪と善とが隠れているか、そこから何が生まれてくるか、ということになるわけだが、単純な善対悪という、二項対立的な図式にはおさまらない。

 そういう彼独自の世界認識が、1920~1940年代の現実の修羅のなかでどのように育っていったかを、本書『前期作品集』でうかがい知ることができる。

 ただ、グロスマンを読み始めると、一見、なんの変哲もない、手堅いリアリズムに思えるかもしれない(彼があまり日本で知られずに来たのは、そのためもあると思う)。だが、彼は、世界と人間の最も深い層に達するために、意識的に自分の方法を選んだのである。彼の声に耳を澄ましているうちに、やがて、光と闇の織り成す巨大なパノラマが浮かび上がってくるだろう。

 

「人間の意識における不吉な機能」

 グロスマンの考えでは、善は、その本質からいって、ささやかな、個別の、具体的なものであって、その意味で個性的なものであり、したがって組織化され得ない。真の思想は、個々の人間がそれぞれに自分と戦うなかでのみ掴まれるものである。だからグロスマンは、共産主義をふくめ、いかなるイデオロギーも信用していない。

 本書収録の『ピタゴラス派を信じるなら』を見ると、ヘーゲルからマルクスにいたる、人類は絶えずより高次の段階へと進歩していくという、進歩史観、直線的な歴史主義について、彼が戦前から疑問を抱いていたのがわかる。

 ところが、善がこういうものであるのに対して、悪のほうは、ものの見事に組織化、効率化され得る、と彼は考える。およそ人間の作り出す政治、経済、軍事のシステムというものはどれも、結局、悪と緊密に結びつき、悪の実現を容易にする。だから、彼の作品世界では、人間が、自分でそれと気がつかぬうちにじわじわと悪に染まり、その一部と化し、滅びていく。それは、いわばブラックホールのような、あるいは不気味な巨大な機械のような観を呈する。

 『しばらくの悲しい日々』の、誠実で反省能力もあり、かつては革命のために文字通り命がけで戦った、ノーメンクラトゥーラたち。その彼らが、「人民の敵」として粛正された自分の親族に対してたちまち無関心になり、自分の地位と権力と富を平然と享受している。

 「決して悲劇の真相を見つめようとはしない…人間の意識における不吉な機能」(『ユダヤ人のいないウクライナ』)

この不吉な機能が、悪の機械を支障なく動かすのだ。

 

虐殺のなかの救済

 『老教師』の主人公は、ホロコーストを描いた世界最初の作品となった。

 主人公は、82歳の読書好きなユダヤ人だ。ウクライナの小さな町に住んでいるのだが、他のユダヤ人たちとともに、狩り立てられ、ナチに銃殺されることになる。処刑を前に彼は、知り合いの6歳の少女カーチャの手を引いてやりながら、苦悩に沈む。どんな偉大な思想も人類の嘗めた苦難も支えにはならぬ。少女に、この不条理を説明してやれるような言葉はない。そのことが彼を苦しめる。ところが…。

 「その時、少女が老教師の方を振り向いた。表情は落ち着いていた。青ざめたその顔はまるで大人のようで、深い情けに満ちあふれていた。突然静寂に包まれ、彼はカーチャの声を聞いた。

 『先生』彼女は言った。『向こう見ては駄目、とても恐ろしいから』そして、まるで母親のように、小さな手のひらで彼の瞳を覆った」

 グロスマンは警告する。「すべてはくり返される」と(『ピタゴラス派を信じるなら』)。あなたも、運命のちょっとしたいたずらで、あのノーメンクラトゥーラにも、ユダヤ人にも、ドイツ兵にもなり得る。あれは、あなた自身のことでもある。そして、生きた人間の魂以外のところに救いを求めてもむだである、と。

(佐藤雄亮・モスクワ大学講師)