暴力による死から身を守る。運命の決闘の前夜、詩人はこの指輪を介添え人であったコンスタンチン・ダンザスに贈った。
詩人はカーネリアンの指輪をさらにいくつか持っていた。そのうちの一つはヘブライ語で碑文が刻まれたものである。これは、プーシキンがある詩で「私を守っておくれ、私のお守りよ」と書いた指輪である。彼のムーサであったエリザベータ・ヴォロンツォワからの贈り物が詩人を裏切りから守った。
カール・ピーター・マザー 作『アレクサンドル・プーシキンの肖像』1839年
Public domainこの指輪は詩人のワシリー・ジュコフスキー、そして作家のイワン・ツルゲーネフへと相続された。後者は指輪が自分からレフ・トルストイに渡されることを望んでいたが、彼が崇拝していたポリーヌ・ヴィアルドは作家の意志を実行せず、プーシキンが育ったツァールスコエ・セロー・リツェイの博物館に指輪を寄贈した。
ヴァシーリー・トロピーニン作『アレクサンドル・プーシキンの肖像』1827年
The National Pushkin Museumもう一つの指輪は予言者の象徴であるピュ―ティア―の三脚台を描いたもので、彼が会員だった秘密結社「緑のランプ」と関係があった。
そして、ボートに座るキューピッドが描かれている指輪。これは、詩人が慈善宝くじに寄付したもので、現在はサンクトペテルブルクのモイカ川の側にあるプーシキン博物館に保管されている。
詩人はこの指輪がインスピレーションをもたらすと信じていた。亡くなる前に彼はこの指輪を将来ロシア語辞書の著者となるウラジーミル・ダーリに贈った。
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