アレクサンドル・プーシキンのジョーク:詩人ならではのセンスといたずら心

カルチャー
ゲオルギー・マナエフ
 この大詩人について語られている面白いエピソードの中から、とくに滑稽なものを5つ選んだ。

 1.「リャーブチク(あばた面)じゃないよ」

 あるとき、作家で官吏のイワン・ドミトリエフが、プーシキンの両親の家を訪れた。ドミトリエフは、10歳のプーシキンの巻き毛に目を止めて、「おお、アラープチク(黒人)だなあ!」と冗談を言った(*詩人の曽祖父は、アブラーム・ペトローヴィチ・ガンニバルと言い、アフリカ大陸の出身だ)。

 「でも、僕はリャーブチク(あばた面)じゃないよ!」。間髪を入れず、幼いプーシキンはジョークを飛ばした。ドミトリエフの顔には実際にあばたがあった。

2. 「あの世のデリヴィク」

 プーシキンと同窓だったアントン・デリヴィクは、死ぬ少し前に、放蕩三昧を始めた(彼は、チフスに罹り、1831年に32歳の若さで亡くなっている)。ある日、デリヴィクは、痛飲した後でプーシキンを訪ねてきた。詩人は、友人に深酒はやめろと説得し出したが、どんな論拠を並べられても、デリヴィクは、絶望しつつこう答えただけだった。僕には、この地上の生活は向いていない、「でも、あの世ではまともになるだろう」。

 「何言ってるんだ」。プーシキンは言い返した。「鏡で自分を見てみろよ。そんなひどい面であそこに入れてくれるかね?」

3. 詩人と太陽

 ある人が、プーシキンを当惑させようとして、公の場で彼にこう尋ねた。「私と太陽の似ているところは何でしょうね?」

 「あなたも太陽も、顔をしかめずに見ることはできません」。詩人はすぐさま答えた。

4.詩人バイロンが中世ロシアの大貴族?

 1825年4月19日は、詩人ジョージ・ゴードン・バイロンの一周忌だった。この日、プーシキンは、友人のピョートル・ヴャーゼムスキーに次のような手紙を書いた。

 「僕は、彼の冥福を祈り、夜に祈祷を行うよう教会に頼んだ。司祭は、私の信心深さに驚き、パンを僕に渡した。それは、神のしもべ、ボヤーリン(大貴族)・ゲオルギーの鎮魂のために出された」。村の司祭には、バイロンがボヤーリンと聞こえたのである。なお、ゲオルギーは、ジョージのロシア語版だ。

 文学者アリーナ・ボドロワの指摘によると、「ボヤーリン・ゲオルギー」の追悼の祈祷は、実際に、しかも2回も行われた。

 「プーシキンのいたずらに、詩人の屋敷の近所のトリゴルスコエ村(プスコフ県)に住んでいたアンナ・ヴリフもくわわった。そのため、『トリゴルスコエとヴォロニチ、両村の教会で祈りが捧げられた』」 

5. 「36文字で稼ぐ」

 プーシキンは、近衛連隊の若い軍人たちと知り合いになった。彼らのなかには、大富豪の御曹司、大酒飲み、遊び人などがいた。ある日、詩人は、人気のレストラン「ドミニカ」に、数人の近衛将校を招き、自費で彼らをもてなしていた。すると、ザヴァドフスキー伯爵が入ってきて、プーシキンにこう言った。

 「アレクサンドル・セルゲーエヴィチ、あんたの財布がぎっしり詰まっているのは間違いないな!

 「そりゃ、私はあなたより裕福ですからね」とプーシキンは答えた。「あなたは、時には不如意に陥って、村からのお金を待たねばならんこともあるが、私はいつも収入があります――ロシア語のアルファベットの36文字からね(革命前のロシア語のアルファベットは36文字だった)」

 プーシキンは、トランプ賭博で大負けしたとき、文字通り一晩で素晴らしい作品を書き上げ、翌朝出版社に売ることで借金をすぐに穴埋めできたことが知られている。ほぼこのようにして(一晩ではなく「二朝」で)、詩『ヌーリン伯爵』が書かれた。 

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