多くの賞に輝いたソ連・ロシアのアニメ10選

カルチャー
ニコライ・コルナツキー
 ヴェネチアから東京やロサンゼルスまで…ソ連のアニメーションは世界中で高く評価された。

 1947年のヴェネチア映画祭で、ムスチスラフ・パッシェンコの童話アニメ『喜びの歌』が審査員から高い評価を得た。これが、ソ連のアニメーションが国際的な賞を受賞した第1号であった。以後、ソ連・ロシアのアニメーションは数々の権威あるイベントで数多の賞を受賞してきた。受賞数は実写映画よりもはるかに多い。2点の作品は、専門家が選ぶ史上最高のアニメと評された。しかもこの2作品は、同じ監督が手がけている。

1.『雪の女王」(1957年)レフ・アタマーノフ

 ソ連のアニメーションが国際的な成功をおさめた嚆矢は、アンデルセンの童話をアニメ化した『雪の女王』だ。モスクワのスタジオ「ソユーズムリトフィルム」にとって、9本目の長編作品であった。監督は、レフ・アタマーノフ。

 『雪の女王』はヴェネチアやカンヌをはじめ、次々と賞を獲得したのみならず、アメリカや日本などでも広く上映された。2003年、東京で開催されたラピュタ・アニメーションフェスティバルにおいて、業界の専門家らが史上最高のアニメーション映画150点を選んだが、その中で『雪の女王』は17位にランクインした。ティム・バートンの『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(26位)や、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』(29位)をも上回った。

 宮崎本人の回想によれば、『雪の女王』は彼がアニメーションの道に進むことを決意させた作品だという。 

2.『にぎやかな無人島』(1973年)フョードル・ヒトルーク

 フョードル・ヒトルークは監督業に進む以前はアニメーターとして長年働き、多くのアニメ作品に携わってきた。彼が担当したキャラクターの中でも代表格なのが、アタマーノフの『雪の女王』に登場する語り手オレ・ルコイエだ。

 『ある犯罪の物語』(1962年)で監督デビューすると、ヒトルークは一気にアニメ監督としてソ連で注目され、ほどなくして国際的な知名度も得るに至った。現代のロビンソン・クルーソーを主人公に据えた『にぎやかな無人島』は、反資本主義的な寓話。カンヌ国際映画祭短編部門グランプリをはじめ、数々の賞を受賞した。

3.『霧の中のハリネズミ』(1975年)ユーリー・ノルシュテイン

 前述の史上最高のアニメ150選の中で堂々の1位に輝いたのが、ユーリー・ノルシュテインの『霧の中のハリネズミ』である。

 友人の熊に会いに行くため、霧の中をさまようハリネズミの、夢幻のような冒険の話。わずか10分の短編だが、その製作には膨大な労力を要した。ガラス板を多層にして撮影された切り絵アニメーションで、全てのキャラクターと背景の一部が複数の部品で構成され、これを手動で少しずつ動かしながら、動いているかのような映像に仕上げていく。

 テヘラン、ヒホン、メルボルン、シカゴなど、世界中のフェスティバルにおける本作の受賞歴は膨大な数になる。

4.『話の話』(1979年)ユーリー・ノルシュテイン

 1984年のロサンゼルスでも、アニメ業界の専門家への聴き取りで最高峰のアニメが選ばれたが、この時も首位に輝いたのはノルシュテインの作品だった。『話の話』は、監督本人の記憶の迷宮を探っていく作品で、やはり切り絵アニメーションで制作されている。

 しかし、ノルシュテインの作品がアメリカのランキングで1位を獲ったことが広く知られるようになったのは80年代終盤、ペレストロイカの時期である。というのも、ランキングはロサンゼルス五輪の文化プログラムの一環として実施されたものだったのだ。

 ソ連は1980年のモスクワ五輪をボイコットされた事に対する対抗措置として、ロス五輪をボイコットしていたのだ。他のノルシュテイン作品と同様、『話の話』もオタワ、リール、オーバーハウゼンの映画祭などで数多くの賞に輝いた。

5.『紆余曲折』(1987年)ガーリ・バルディン

 ガーリ・バルディンは声優としてキャリアをスタートさせ、その後アニメ脚本を手掛けるようになり、やがて監督業に取り組んだ。ソ連で人気を博したミュージカルアニメ『空飛ぶ船(1979年)』など、セルアニメを何点か制作した。しかしバルディンがその名を不動にするのは、立体アニメーションに取り組んでからである。

 ヒモやマッチなど、思いがけない素材を使った撮影が特徴だ。『紆余曲折』は、度の過ぎた自主隔離を風刺劇にした作品だが、登場するキャラは針金製だ。本作でバルディンはカンヌ国際映画祭短編部門グランプリを受賞した。

6.『狼と赤ずきん』(1990年)ガーリ・バルディン

 バルディンの手によるもう1つのミュージカルアニメだが、こちらはクレイアニメ。誰もが知る有名な童話を、鉄のカーテンが消えたペレストロイカの気風でリメイクした作品。ソ連に暮らす赤ずきんがパリのおばあさんを訪ねる道中、狼に加え、ディズニー世界の3匹の仔豚や7人の小人と出会う。

 この作品は、「アニメ界のカンヌ」であるアヌシー国際アニメーション映画祭でグランプリを受賞するなど、多くの賞に輝いた。 

7.『ボレロ』(1992年)イワン・マクシモフ 

 ポストソ連時代の新しいアニメーションの方向性は、明確なストーリーを欠き、直接的な解読が不可能な作風によって決定付けられた。視聴者は5分間にわたり、奇妙なモンスター(その姿はデイヴィッド・リンチの『イレイザー・ヘッド』に登場する赤ん坊の縁戚と言えよう)がラヴェルの『ボレロ』をBGMに、中世風の城を徘徊する映像を眺めることになる。

 若手アニメーターのイヴァン・マクシモフの卒業制作であり、ベルリン映画祭の短編部門で金熊賞を受賞した。

8.『ガガーリン』(1994年)アレクセイ・ハリティディ

 素敵なアニメーションが、絶妙のタイトルのおかげで大傑作と化した一例が、本作である。

 哲学的な思索をうながすようなタイトルは、エドゥアルド・ナザーロフ(旧ソ連の人々にとってかけがえのないアニメ作品『犬が住んでいました』の監督である)の発案による。

 作中、蝶や鳥に憧れる青虫にある時、空を飛ぶことの何たるかを味わうチャンスがやってくる。青虫は、バドミントンのシャトルに潜り込むのだ。

 ハリティディの『ガガーリン』はカンヌでパルム・ドールを勝ち取り、アカデミー短編アニメ賞も受賞する。

9.『老人と海』(1999年)アレクサンドル・ペトロフ

 アレクサンドル・ペトロフは、オスカーにノミネートされた最初の、そして最後のソ連のアニメ監督となった。1990年、ペトロフの作品『雌牛』がノミネートされたのである(周知の通り、翌年にソビエト連邦は消滅した)。

 ペトロフはその後3回ノミネートされ、2000年にヘミングウェイの『老人と海』をアニメ化した作品でついにアカデミー賞に輝いた。作品はペトロフ独特の「ガラスの上の油絵」の技法による描写が光る。本作は、初のIMAXフォーマットのアニメ映画でもある。

10.『我々は宇宙なしでは生きていけない』(2014年)コンスタンチン・ブロンジット

 ブロンジットはロシアの監督として唯一、アヌシー国際アニメーション映画祭でグランプリを3回獲得している。その1つが、友情と孤独を寓話的に鋭く描き上げた『我々は宇宙なしでは生きていけない』だ。

 本作はアヌシーの他にも、メルボルンや東京などの映画祭で多くの賞を受賞し、オスカーにもノミネートされた(ブロンジットにとって、2009年の『ラバトリー・ラブストーリー』以来2回目)。

 ブロンジットはその後も宇宙をテーマにした作品に取り組み続け、良く似たタイトルだが独立したストーリーの『彼は宇宙なしでは生きていけない』(2020年)を発表した。同作はオスカーの最終選考に残った。

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