古代ルーシでは、王室から農民小屋に至るまで、あらゆる家庭で裁縫が行われていた。刺繍は素朴な家財道具を飾るために使用されていたが、宗教刺繍は特別だった。布には聖人が描かれていたため、作品は通常教会に寄贈された。
神事用工芸品
ルーシではキリスト教が導入される前から刺繍が行われていた。最も古い布には、生命の木、母なる女神、太陽の象徴など、異教のシンボルが見られる。しかし、ルーシがキリスト教を受容した後に、この芸術はビザンツ帝国(東ローマ帝国)の影響によってさらに普及した。
徐々に、異教の刺繍の要素は聖人の姿を中心とした絵柄に変わった。聖人とともに聖書の場面も刺繍されたため、教会では聖職者の衣服、墓石の覆い布、「宝座」(至聖所「アルターリ」の中央にある祭壇)などに宗教刺繍の作品がよく見られた。それらは礼拝にも使用され、刺繍イコンの珍しい作品も知られている。
高貴な仕事
正しい生活習慣を描いたロシア文学の有名な作品『ドモストロイ』(家庭訓)には、良き妻は家庭的で裁縫ができなければならないと書かれている。この規則はあらゆる層の人々に広がり、庶民も貴族の少女も刺繍を習っていた。しかし、裕福な家庭の女子だけが宗教刺繍に従事できた。絹、金糸、銀糸、そのような刺繍のための材料は非常に高価だったからだ。
さらに、宗教刺繍の作業は複雑だった。裕福な家には、家の女主人と彼女の職人たちが裁縫をする特別な部屋があった。皇后の工房では最大 100 人の少女が働いていた。
そして宗教刺繍にはイコン画職人、エッチング職人、麗筆家も必要だったからだ。通常、この職人は男性だった。彼らは紙に聖人、装飾、文字を描き、刺繍職人たちはそれを布の上に置き、輪郭に沿って穴を開け、その先の作業のためにその絵を転写した。
場合によっては、模様が布地に直接描かれ、裁縫師が白い糸でかがって、その後刺繍することもあった。
「針で絵を描く」
宗教刺繍の第二の名前は布に様々な色の絹が刺繍され始めた15 世紀につけられた。絹は中国、イラン、トルコ、時にはイタリアやスペインからもたらされた。多くの場合、宗教刺繍は宝石や真珠でさらに装飾された。
特に複雑な作品の場合、刺繍に数年かかることもあった。この場合、数人の職人が同時に一つの布で様々な作業を行った。たとえば、布に真珠を縫い付ける作業に取り組む女子など。
優れた職人は35年から50年という長い間その部屋で働き続けることもあった。
伝統の継承
多くの作品は私たちの時代まで残らなかった。しかし、現代の宗教刺繍の技術は古代の伝統を引き継いでいる。たとえば、この芸術は至聖三者聖セルギイ大修道院の工房で実践されている。
教会施設の外でも、私設の工房や裁縫師も活動している。誰でも古代の技術を習得できる刺繍学校もある。