スラヴの異教の神話には、宇宙および人間の起源に関する重要な問題――つまり、世界とさまざまな自然現象がいかに生じたか、人間はいかに生まれたか、なぜそのような姿であるのか等々について独自の説明があった。スラヴ神話に最も近いのは、スカンジナビアと古代インドのそれだろう。
異教時代の古代ロシアでは、ロシア人なら誰でも知っているように、主神は、雷神のペルーンだった。彼は雨を降らせて大地を肥沃にするが、稲妻で樹を割ることもできる。
オリガ大公妃とその親兵が主神ペルーンの前で誓う(907年)
Public domainペルーンは天空に住んでおり、地上にあって農耕と家畜を庇護するヴォーロス(ヴェーレス)と長きにわたり対立している。また、ヴォーロスは、家畜が重要な資産であったことから、商業と交易も守っているとされた。
キリスト教の導入後、ヴォーロスの「機能」は、聖ニコライ(ミラのニコラオス、270年頃~345年または352年)に引き継がれたため、彼がロシアで最も崇敬される聖人の一人になったと考えられる。
やがてニコライはほとんど「ロシアの聖人」とみなされるにいたり、まったくロシア風のイメージがイコンなどに数多く現れた。多くの人は、彼がローマ帝国の小アジアに生まれた聖人であることを忘れ去っていた。
ロシア北部の刺繍に見る女神モコシ
Public domainホルスは太陽神、ダジボーグは豊穣の神、ストリボーグは風神だ。女神モコシは、「湿潤」を司り、女性、とくに母親の守護神(そして女性がとくに崇敬した神)。モコシはまた、織物、工芸など女性の仕事、そして概して暮らしにおける良きことを司った。
10 世紀末に、古代ロシアはキリスト教を導入した。しかし、『聖書』の難解な内容は、大抵の人間には理解できなかった。『新約聖書』はギリシャ語で書かれており、司祭たちは教会で信徒にそれを説明した(ただし、それぞれの理解と教養の程度に応じて「説明」することが多かった)。
イーゴリ1世(オリガ大公妃の夫)は、スラヴ神話の主神ペルーンの前で、キリスト教徒は預言者エリヤの前で誓う
Public domain異教の神々や偶像を失った人々の多くは、人生で最も重要な問題への答えと、さまざまな自然現象の説明を必要としていた。一切万事は神の意志で起きると一般人が理解するのは無理なことがしばしばだった。この世のすべてがいかに生じ動いているのか示すもっと具体的な例が必要だった。
さらに、17世紀までに、ウラルとシベリアが新たにロシア領に加わった。ここでは、先住民はまだ異教徒であり、世界、人間、神々について自分たちの考えを信奉していた。
悪霊や自然現象の力に関する多くの迷信、民間信仰は、今日にいたるまでロシアに残っている。 多くの正教会の祭日は、異教の伝統にうまく「適合」させられさえした。たとえば、四旬節前の冬送りの祭り「マースレニツァ」のようにだ。これは、ロシア人が新しい習慣に慣れやすくするためだった。
キリスト教の新しい観念と古い有名な神話や民話のモチーフをブレンドした口承文芸も現れ始めた。宇宙、自然、人間などに関する根本的な問いに答えた書物としては、たとえば、古代ロシアの『鳩の書』(“Глубинная книга” 。しばしば “Голубиная книга” と呼ばれた)がある。鳩は聖霊と平和の象徴だった。
本質的に、『鳩の書』は「アポクリファ」(外典)であり、この種の本を読んだ者は異端宣告され、罰せられかねなかった。そうした事態がまさにスモレンスクの聖アブラーミーに起きた。彼は、12世紀後半から13世紀前半に生きた人物だ。
彼は修道院から追放された。『鳩の書』などの外典を読み、極めて「狡猾な」説教をして多数の信徒を引きつけたとして、教会の高位の聖職者たちから公に非難された。
アブラーミー自らも本を書いた。たとえば、『天の力についての言葉…そして魂の行方について』だ。このなかで彼は、重要な宗教上の問題について思索している。
ニコライ・レーリヒ(リョーリフ)『鳩の書』、1922年
Public domainいつ『鳩の書』が現れたかはよく分からない。発見された最古の写本は17 世紀だが、研究者たちの意見では、テキストそのものは、それより前、15 世紀末~16 世紀初めに成立していた。形式的には、これは韻文であり、叙事的な民話(ブイリーナ)を連想させる。
この本は 三部構成になっている。第一部は、この本がいかに出現したかを語っている。それによると、あるとき、巨大な本が天空から降ってきた。大勢の人が集まってきたが、皆、近寄るのを怖がっていた。賢明なる王ダヴィド・エヴセーエヴィチが本に近づくとすぐに、本は自然に開いた(『旧約聖書』のダヴィデ王が「暗号化」されている可能性が高い)。キリスト自らがこの本を書き、預言者イザヤが読んだと、王は人々に話す。
第二部では、人々はダヴィド王に、「私たちの生活について、聖なるロシアの生活について」の説明を本に見つけるように頼む。太陽、雨、雲、星、夜などの現象がなぜ生じるのかと聞く者もいた。また、なぜ人には「知恵」と考えがあるのかという哲学的な質問も。さらに、王、公、大貴族、正教の農民の起源についても尋ねた。
ニコライ・レーリヒ(リョーリフ)『鳩の書』(4人の王の追憶)、1911年
Public domainダヴィドが言うには、太陽は神から、風は聖霊から、雨はキリストの涙から、そして、人の考えは天の雲から生じる。また、この本によると、白きツァーリ(つまりロシアのツァーリ)は王たちの中で最も大いなる者であり、キリストの信仰と聖母の家(つまりロシア)を守る。ちなみに、聖なるロシアの地は、すべての土地の母である。ダヴィドはまた、キリストがいかに十字架につけられたかについて、エルサレムについて話す。その一方で、極めて民話的な存在――クジラ、すべての鳥の母である「ストラチム」、すべての動物の父「インドリク」などについても言及する。
最後に第三部では、ダヴィドの夢について語る。その夢では、「プラウダ」(真実)と「クリヴダ」(嘘偽り)が戦っていた。「プラウダ」は相手を論破し、天のキリストのもとへ昇る。一方の「クリヴダ」は、地上に四散し、そこからあらゆる問題と「不正な」人々が生じた。それに関連付けて、ダヴィドは信仰の本質を説く。「クリヴダによって生きない者は、誰でも主を頼みとすることができる」
童話『プラウダとクリヴダ』(嘘偽りと真実)
Public domainダヴィドは、叙事詩的なスタイルで、簡潔かつ極めて自由に、世界の創造と、「狡猾なる蛇」によるイヴの誘惑についての、『聖書』のエピソードを物語る。
実のところ、『鳩の書』は、ロシア正教の自己認識と哲学的思考の基礎を築いたと言えよう。その後、さまざまな資料に、「ロシアの地は神聖なり」という見解が現れていく。生涯無敗の名将アレクサンドル・スヴォーロフが吐いたという伝説的な言葉「われらはロシア人だ。神はわれらと共におられる」は、ほぼ民族全体のモットーとなる。
『鳩の書』の内容は、口伝えで代々受け継がれてきた。詩人ニコライ・ザボロツキーは、1937年の詩『鳩の書』にこう書いている。幼い頃から自分は、この「半ば忘れられた先祖たちの話」を知っている。そして、この「秘本」には「秘められた大地のすべての真実」が記されている、と。
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