エフゲニー・オネーギンは、ロシアの若く富裕な貴族だ。教養がありかなり賢いが、浅薄で、何事にも打ち込めない。やることがないので、娯楽、社交、情事で暇をつぶしている。
帝都での暮らしに退屈し、ロシアの「ふさぎの虫」にとりつかれた彼は、田舎に引っ越し、亡くなった叔父から財産を相続する。そこで、彼は、ウラジーミル・レンスキーという青年と知己になる。
レンスキーは、婚約者オリガ・ラーリナとその姉タチアーナをオネーギンに引き合わせる。オリガはいつも明るく陽気だが、姉タチアーナは、無口で控えめで、思慮深くロマンティックな性格のようだ。彼女は小説を読み、前兆を信じ、恋愛を夢見ている。
タチアーナ・ラリーナはオネーギンに恋をし、彼への気持ちを手紙で告白する。オネーギンは彼女の真情に感動はするが、彼女の求愛を拒む。オネーギンの無関心は、タチアーナの心を打ち砕く。一方、オネーギンはすぐにいつもの生活に戻る。
「オネーギンとレンスキーの決闘」イリヤ・レーピン作
プーシキン美術館しばらくして、レンスキーはオネーギンに、タチアーナの「名の日の祝い」の集いに来るよう説得する。その集いでオネーギンは、タチアーナの過度の感じやすさを疎ましく思い、騒々しい集まりに苛立つ。オネーギンは、レンスキーへの腹いせに、レンスキーの婚約者オリガを一晩中口説く。
レンスキーは怒り、オネーギンに決闘を申し込む。双方ともに気は進まなかったが、もはや後には引けない。オネーギンは友人レンスキーを撃ち殺し、この地を永遠に立ち去る。
オネーギンが去った後、タチアーナは、彼が置き忘れていった所持品を見ているうちに、彼の浅薄な性格に思い至る。タチアーナの母親は、娘のことを心配してモスクワに連れて行き、裕福な勢力家で尊敬されている将軍との結婚を周旋する。タチアーナは将軍を愛していないが、結婚に同意する。
数年後、オネーギンは、放浪の末サンクトペテルブルクに戻り、偶然に舞踏会でタチアーナに再会する。今や彼女は見違えるようだった。内気で寡黙な少女から、サンクトペテルブルクの上流社会に称賛される華麗な貴婦人に変身しており、オネーギンは彼女に惚れ込む。
オネーギンとタチアーナ
個人コレクションオネーギンはタチアーナに情熱的な手紙を書き、かつての冷淡さを謝罪し、古い感情を呼び覚まそうとするが、彼女は彼の求愛を拒否する。
オネーギンは、タチアーナがまだ自分を愛していることに気づくものの、彼女は、自分は永遠に夫に対して忠実であり続けると言う。
この一見極めて単純な物語は、当時のロシアの生活のさまざまな側面を見事に描いており、しばしば「ロシアの生活の百科事典」と呼ばれる。詩人アレクサンドル・プーシキンは、8 章しかないこの比較的短い作品を8 年もかけて書き上げた。物語を完成させると、作者はそれを自分の「偉業」と呼び、それを書くために費やされた多大な努力を強調した。
さまざまなディテール、登場人物、状況設定が微細でしかも深いこの小説は、「1820 年代ロシアの生活の百科事典」との評価を得た。1825年に第1章が出版されてから今日に至るまで、この小説は、その複雑な構成、題材とテーマの豊かさ、日常生活の綿密な描写、卓越した技法で造形された人物像の深さにより、各時代の読者を魅了し続けてきた。
だから読者は、この小説から、当時の暮らしのほとんどすべてを学ぶことができる。人々がどのように装い着飾っていたか、何を大切にし、何に夢中になっていたか等々。全体として、この本は 19 世紀初頭のロシアの生活全体を反映している。
プーシキンが独特の形式、いわゆる「オネーギン・スタンザ」を編み出しているため、この作品の翻訳は困難を極める。「オネーギン・スタンザ」は、明確な構造と韻のパターンをもち、作品全体で展開されている。
しかし、そのオペラは世界中で人気を博することとなる――1877~78年にピョートル・チャイコフスキーは、この韻文小説をオペラ化した。
*日本語訳:
・木村彰一訳、講談社文芸文庫、1998年。
・池田健太郎訳、岩波文庫、1962年。
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