ロシアの2 枚の絵画がホワイトハウスに辿り着いたいきさつ

 ロシアの有名画家による2枚の絵は、アレクサンドル 3 世の時代から今にいたるまでロシアでは公開が「ご法度」だ、と言う人もいる。

 1963 年、ジョン・F・ケネディ大統領の時代に、ルーズベルト・ルームの壁に2枚の絵が掛けられた。1枚は、ロシア帝国の海岸にある船を描き、もう1枚は、アメリカ国旗を振っているロシアの農民だ。これらは、画家イワン・アイヴァゾフスキーの絵画だが、ロシア史の暗い頁を抹殺しようとしてロシアでは公開が禁止されたという噂があった。

悲劇を描いた絵

 最初の絵は、バルト海のロシアの港に着いた米国船を描いている。大勢の人が手を振って米国の船員に挨拶している。

『救援の船』、イワン・アイヴァゾフスキー作

 2枚目の絵はロシアのトロイカを描いている。これはロシア伝統の馬橇で、3 頭の馬が並んで橇を引く。馬車には男が二人乗っている。1 人が馬を操り、もう 1 人が道路の両側から手を振る人々に米国旗を振っている。道路沿いに建てられた木造家屋の 1 つにロシア国旗が見える。

『物資の配布』、イワン・アイヴァゾフスキー

 いずれの絵も、ロシア史の暗い頁を記録している。画家アイヴァゾフスキーは、1891~1892 年にロシアを襲った大飢饉による貧困層の苦しみに衝撃を受け、一部の米国人の個人的な努力に深く心を打たれた。彼らは、遠い異国の人々の苦しみを和らげるために、ロシア帝国に援助物資を送った。

米ホワイトハウスへの道

 1892年、イワン・アイヴァゾフスキーは米国を旅行した。その時までに、彼は故郷のロシア帝国でも外国でも画家として認められており、注目を集めていた。

 米国滞在中、アイヴァゾフスキーはニューヨークで個展を開いた。画家は、24枚の絵画を展示。その中には、「救援の船」(「援助の船」とも呼ばれる)と「物資の配布」という、上記の2枚の絵があった。

 気前の良さで知られるアイヴァゾフスキーは、しばしば自分の絵を贈り物にした。「救援の船」と「物資の配布」は、ワシントンのコーコラン美術館に寄贈された。

 1961 年に JFK が大統領に就任すると、絵画は妻ジャクリーン・ケネディの発意でホワイトハウスに移された。

 絵画は、1979年に公の場から姿を消し、結局、個人のコレクションになったが、2008年にサザビーのオークションに再登場。慈善家に 240 万ドルで売却され、ワシントンのコーコラン美術館に戻された。

絵画は公開禁止になったのか? 

 ロシア帝国のウラル山脈と黒海の間に飢饉が急速に広がったとき、同国政府の飢餓対策は不十分だった。これを知った米国の有志は、いわゆる「在米・ロシア飢饉救済委員会」を立ち上げた。

 この慈善団体は、米国政府の承認を得ておらず、ウィリアム・エドガーの指導のもとで、ほとんど個人の寄付で、自己資金により運営されていた。エドガーは、週刊誌『ノースウエスタン・ミラー』の編集者だ。

 1892 年 3 月 16 日、米国の援助物資(食料、穀物、とうもろこし粉)を積んだ最初の船がバルト海のロシアの港に着いた。間もなく他の船も続き、1892年の春の初めから夏の半ばまでに、5隻の船が到着。約 1万トンの食糧(約 100 万ドル相当)がロシアに運ばれた。

 「米国から食料を満載した船が来援したことに、我々は皆、深く感動した」。未来の皇帝ニコライ2世はこう語った。当時、皇太子だった彼は、このときの救援活動を担当していた。

 しかし、彼の父である皇帝アレクサンドル 3 世のほうは、この援助活動を評価しなかったと言われている。彼は、それがロシア国内の危機をどれだけ緩和できるかについて、不用意に疑念をもらした。しかも、飢饉は、どんどん広がり、ロシア農民に多大な苦しみをもたらして、ロシア帝国の社会の構造的欠陥もさらけ出した。つまり、富裕層と貧困層の間には大きな格差があり、政府は焦眉の問題に断固として取り組むことができなかった。

 食料を積んだ最初の米国船がロシアに着いたとき、アイヴァゾフスキーは、普通の米国人の寛大な行動に感動した。そして彼は、その最初の船がロシアに入国し、米国の食料が配られる過程を描いた 2 枚の絵画を描いた。

 一部の資料によると、この援助のいきさつ全体が皇帝アレクサンドル 3 世のイメージと業績を損ないかねなかったため、ロシアでの絵画の展示が禁止されという。

 ロシア帝国でこれらの 2枚の絵画の公開を禁止する布告が出たことは一度もなかったが、ある情報によれば、アレクサンドル 3 世の時代から現在に至るまで、ロシアではこの絵画が禁じられているという。

 もっとも、この主張を裏付ける証拠はないが、2枚の絵がロシア帝国、ソ連、さらには現代のロシアで公に展示されたことがないことは言っておく意味があるだろう。

*米国の南北戦争中に、ロシアが北軍をいかに支援したかについてはこちらをご覧ください

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