古代ロシアのスーパーヒーロー:ボガトゥイリってどんな人たち?

カルチャー
ゲオルギー・マナエフ
 ロシアのボガトゥイリたちの物語は明らかに、キリスト教導入以前の異教時代に遡り、民間伝承に保存されてきた。彼らは実在したのだろうか?

 太古の強い男たち、ボガトゥイリの物語は、ロシアのすべての児童が好きな寝物語のなかにも含まれている。

 イリヤ・ムーロメツは、生まれてから33年間、身体が不自由でペチカの上に寝ていたが、その後奇跡的に癒され、ウラジーミル聖公(1世)がロシアの地を救うのを助けた。

 アリョーシャ・ポポーヴィチは「大蛇の子トゥガーリン」と戦った。最も古いボガトゥイリの一人、スヴャトゴルは、途轍もない巨体で大力だったが、そのせいで身体が地面にめり込んでしまう。これらの英雄、豪傑は、キリスト教導入以前の古代のロシアの地にルーツがあるようだ。 

ボガトゥイリの語源は?

 「ボガトゥイリ」という言葉そのものは、ロシア語に由来するものではなく、チュルク語から借用されている。 「baɣatur」 は「英雄、戦士、軍司令官」を意味する。古代ロシアでは、そのような勇士、豪傑は、「khrabr」(храбр〈勇敢な男〉)や「vityaz」(витязь〈戦士、勇士〉)や「molodets」(молодец〈若者〉)などと呼ばれていた。では、なぜチュルク語の単語が必要になったのか?

 モンゴル・タタールの人々の間で、最高の戦士は「bogatyrs」と呼ばれていた。そのため、彼らに征服されたロシアでは、自分たちもモンゴルの「ボガトゥイリ」に劣らないことを強調するために、自分たちの英雄にもこの呼び名を用いた。そこで、ロシアの物語では、英雄は「ボガトゥイリ」とも呼ばれたわけだ。

どのような資料、文献がボガトゥイリについて語っているか?

 ロシアの「ブイリーナ」は、ロシアの過去の有名な歴史的(または疑似歴史的)な出来事を語る壮大で叙事的な歌だった。「ブイリーナ」は、何世代にもわたり吟遊詩人によって歌われ、口伝えで伝承されてきた。それらが最初に記録され、本として発行されたのは1804年で、19 世紀を通じて研究され、収集されていった。

 歴史家たちには数百の「ブイリーナ」が知られており、出来事が起きた場所に基づいて、キエフもの、ノヴゴロドもの、全ロシアものに分けられる。

 「ブイリーナ」に登場するボガトゥイリたちは、過去の特定の実在した英雄を正確に描いたものではない。それらは、典型的、元型的なヒーローの集合的イメージだといったほうがよいだろう。そこには、古代の神話に基づいて形成された、さまざまな戦士についての物語が織り込まれている。  

最古のボガトゥイリ

 ブイリーナは、数十人のさまざまなロシアのボガトゥイリについて語っている。なかでも最も古いと考えられるのは次の三人だ。スヴャトゴル、ヴォルガ・スヴャトスラヴィチ、ミクーラ・セリャニノヴィチ。 

 スヴャトゴルは最古で最強のボガトゥイリだ。歴史家と文献学者は、スヴャトゴルがキリスト教以前の伝承の英雄である可能性が高いという意見で一致している。スヴャトゴルは、聖なる山に住む途轍もない巨人だ。

 彼が歩くと、母なる大地が揺らぎ、森が揺れ、川が岸から溢れ出す。さまざまなブイリーナの伝えるところでは、スヴャトゴルは、「全世界の矛先」という名の、この世界のあらゆる重さが集められた袋を持ち上げようとして、地中にめり込んだか、石棺に閉じ込められたという。

 いずれにせよ、スヴャトゴルは、古代の宇宙万有の力の擬人化だろう。彼は強すぎて、地上が彼を支えて運ぶには重すぎる。

 ヴォルガ・スヴャトスラヴィチも、キリスト教導入以前に遡るボガトゥイリだ。彼の母親は、ロシアの公女で、父親は魔法の蛇だった。そのため、ヴォルガは、さまざまな生き物に変身し、動物の言葉を理解できた。ヴォルガがインドやトルコの異境を征服したことに関する多くの物語がある。

 ミクーラ・セリャニノヴィチは、いわば究極の農民とも言うべきボガトゥイリだ。彼の「父称」であるセリャニノヴィチは「村人の息子」を意味し、「母なる大地は、彼の眷属を愛している」。だから、彼は無敵だ。この世界のあらゆる重さが集められた袋をスヴャトゴルに与えるのは、他ならぬミクーラであり、スヴャトゴルはこれを持ち上げることができない。

 ミクーラという名前は、ニコライ(ニコラス)の一バリエーションで、ロシアでは、今日にいたるまで、聖ニコライが崇敬されている。歴史家たちの見解によれば、ミクーラ・セリャニノヴィチは、古代の農民が具現化した一種の異教神であり、それが後に聖ニコライの名において崇拝された可能性があるという。

三人のボガトゥイリ

 他のすべてのボガトゥイリは、言わば「おまけ」のボガトゥイリとみなされている。ブイリーナには数十人も出てくるが、率直に言って、今ではほとんどのロシア人は、彼らを記憶していない。

 しかし、ヴィクトル・ヴァスネツォフが描いた、インフルエンサーとなった名画『三人の勇士』(原題『ボガトゥイリたち』)は、誰もが知っている。

 この絵画は、1881年から1898年まで約20年かけて描かれており、ロシア社会がロシアで自然に語り伝えられてきた伝承に感じていた情熱を体現している。画面のボガトゥイリは、ブイリーナ中で最も有名な英雄たちで、ドブルィニャ・ニキーチチ(左)、イリヤ・ムーロメツ(中央)、アリョーシャ・ポポーヴィチ(右)。

 イリヤ・ムーロメツは、ロシアのボガトゥイリたちのなかで最も有名だろう。彼は「ロシアの地の守護者」だとみなされている。彼についての話は、さまざまなブイリーナで語られており、ロシアにとって非常に典型的なアーキタイプ(元型)になっている。 

 イリヤは、生まれてから33年間、不思議な病のために歩くことができなかった。ある日、彼が一人で家にいたとき、三人の巡礼がやって来て、水を欲しいと言った。「私は動くことができません」とイリヤは言ったが、巡礼たちは、起きて水を汲んで来なさい、と言った。不意にイリヤは起き上がり、桶一杯の水を持ってきた。老人たちは彼に、その水を飲むように言うと、彼は癒された。それから、イリヤは巨大な力が身体に漲るのを感じた。彼はキエフに赴き、ウラジーミル大公がロシアの地を守るのを助けた――。ブイリーナはこう語っている。

 ドブルィニャ・ニキーチチとアリョーシャ・ポポーヴィチの経歴は比較的似通っている。ドブルィニャはズメイ・ゴルィヌィチ(山蛇)と戦い、アリーシャは「大蛇の子トゥガーリン」と戦った。二人ともロシアの民を守り、義兄弟である。いずれも教養があり賢い。ドブルィニャは 12 の言語を話し、アリョーシャは、ツィターのスラヴ版と言うべき弦楽器「グースリ」を演奏する(この絵では、右側のアリョーシャの背中にグースリがぶら下がっているのが見える)。

ボガトゥイリは実在したか? 

 ブイリーナは、完全なリストや資料集成というわけではなく、何世紀にもわたって口頭で伝えられてきたものであり、数え切れないほどのバリエーションと補充、追加がある。しかも、すべてのブイリーナが記録されたわけでもない。だから、ボガトゥイリの物語は、過去の現実の出来事とフィクションが混在しており、それは他の英雄の話についても同様だ。

 たとえば、ブイリーナのアリョーシャ・ポポーヴィチは、現在のロストフ周辺の大貴族アレクサンドル・ポポーヴィチだったと考えられている。彼は、1223 年の「カルカ河畔の戦い」で戦死している(*この戦闘では、モンゴル軍とポロヴェツ・ロシア連合軍とが戦い、後者が惨敗した。モンゴル帝国による後の本格的な侵略の前触れとなった)。

 ところが、13世紀には、アリョーシャ・ポポーヴィチはすでに、有名な伝説的英雄だった。だから、明らかに、実在の人物が伝承に影響、投影されているわけで、その逆ではない。 

 イリヤ・ムーロメッツも同様だ。彼の実在のモデルは、1188年に亡くなった、キエフ=ペチェルスカヤ修道院の修道士、聖イリヤ・ペチェルスキーだと広く信じられている。彼の聖骸は同修道院の洞窟に保存されており、歴史家たちは埋葬の年代を 12~13 世紀としている。

 1988年、医療関係者が聖イリヤの聖骸を調査した。それによると、彼は、当時としては長身で、身長は約177cmだった。注目すべきは、脊椎疾患の痕跡があったことで、これは、33 年間ペチカの上に寝ていたイリヤ・ムーロメツの話と一致する。

 頭蓋骨は異常に厚く、手首と鎖骨もはるかに平均を上回っていた。死因は、鋭利な武器(槍または剣)による胸への傷だったらしい。

 聖イリヤ・ペチェルスキーは本当にイリヤ・ムーロメツの原型だったのだろうか?そうであろうとなかろうと、イリヤ・ムーロメツは、ロシアの戦略ミサイル軍と国境警備隊の守護聖人とされており、彼は今でも「見守っている」。

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