最も希少で高価なソ連のバッジ(写真特集)

ロシア・ビヨンド, Nikolai Nikitin/TASS, Public Domain
 中には貴金属を使い、一つしか作られなかったバッジもある。こうした希少な品を求めて、世界中の収集家たちが争奪戦を繰り広げている。

 多くのソ連国民はいろいろな物の収集に熱中していた。切手や古い硬貨、ハガキなどだ。だが、おそらく最も人気だったのはバッジの収集だろう。ソ連各地の名所を描いた土産バッジもあれば、1980年のオリンピックやバイコヌール宇宙基地の完成などに合わせて作られた記念バッジもあった。また「青少年劇場は共産主義教育の道具」といった勇ましい標語入りのバッジや表彰バッジもあった。

 バッジ収集は1970年代半ばまでに「記章収集」という独立した分野となった。収集家は展覧会に集まってバッジを交換したり、新しいバッジを買ったりした。最も希少と見なされたのは戦前に作られた金銀製の表彰バッジだ。現在こうしたバッジは、オークションで数万ドルの値が付く。

1.「ドブロリョート:10万km飛行表彰」バッジ(1923年〜1927年):220万ルーブル(約374万円)

 「ドブロリョート」はロシアの航空会社「アエロフロート」の前身だ。この会社は1923年から1930年まで貨物・旅客輸送を行ったが、その主な目標は民間航空業の発展だった。「ドブロリョート」では数種類のバッジをパイロットに与えていた。最も希少で高価と見なされているのが10万キロメートル飛行を記念した表彰バッジだ。パイロットのヤコフ・ルィシコフ(1903年〜1944年)のために銀と金で作られた。直近の2019年のオークションでは220万ルーブル(約374万円)で落札された。

 このバッジの模造品は1000分の1の値段で売られている。

 こうした記名バッジはもう一つあることが知られている。パイロットのアレクサンドル・デムチェンコに授けられたものだが、2003年に個人コレクションから盗み出され、現在も捜索中だ。

2.「チェーカー飛行士を増やそう」バッジ:220万ルーブル(約374万円)

 概してソ連時代の最も高価なバッジは航空に関係している。

 銅のバッジ「チェーカー飛行士を増やそう」は、レニングラード航空クラブ「ディナモ」の基地で国境警備隊指揮官の養成が行われていた1932年から1934年の間に発行された(講習は1934年に終了した)。このバッジは講習修了時に配られたものだった。約30個が発行されたが、現存するのは「20番」のバッジ一つだけだ(おそらく1933年に発行されたと見られる)。2016年、オークションにおいて220万ルーブル(約374万円)で落札された。

3.「100万km飛行表彰」バッジ(1938〜1941年):180万ルーブル(約306万円)

 ソ連では通算飛行距離の長い民間パイロットを讃えてバッジが与えられていた。特に古くて珍しいものには、現在数百万ルーブルの値が付いている。例えば、通算飛行距離100万キロメートルを讃えて1938年から1941年頃に発行され、裏側に32番と刻まれたこのバッジは、2010年のモスクワのオークションにおいて180万ルーブル(約306万円)で落札された。モスクワの工房で銀と金めっきで作られたことが知られ、保存状態がとても良い。

 1935年から1938年までに発行された、80万キロメートル飛行や30万キロメートル飛行を讃える戦前のバッジも高く評価され、110万~120万ルーブル(187万円〜204万円)の値が付いている。

4.『誉れ高き極地探検隊員』バッジ(1938年):115万ルーブル(約195万円)

 このバッジは1938年に極地探検隊のために制定された。初期のものは銀製だったが、その後銅製になった。収集家にとって最も価値があるのは、氷の中を進む砕氷船「I.スターリン」と遠景に遠距離飛行機の図柄入りの見本バッジだ(1957年以降、砕氷船は「V.レーニン」に替えられた)。2019年のオークションにおいてこのバッジは115万ルーブル(約195万円)で落札された。

5.『星形飛行』バッジ(1927年):100万ルーブル(約170万円)

 2019年のオークションで、1927年「星形飛行」を記念したOSOAVIAKhIMのバッジが100万ルーブル(13000ドル)で落札された。OSOAVIAKhIMは防衛航空化学建設協力協会(ソ連で最初の義勇兵組織の一つ)の頭字語で、DOSAAF(陸海空軍協力義勇協会)の前身である。この協会はその存続中、労働者の航空技術に対する関心を引くために何度か扇動的なイベントを実施した。結果としてその参加者は記念バッジを受け取った。1927年6月19日、ソ連で「星形飛行」が行われた。全国の都市から12機の飛行機が同時にモスクワに向かって飛んだのだ。操縦したのは航空学校の若き卒業生らだった。彼らは全員この歴史的な出来事を記念した銀・金製のこうしたバッジを授かった。

6.「軽飛行機全ソ飛行記念」バッジ(1935年):100万ルーブル(約170万円)

 集団飛行を記念したもう一つの希少なバッジは、2009年に100万ルーブルの値が付いた(類似のバッジはやや安く、80万ルーブル(約136万円)ほどだった)。このイベントは1935年9月に、モスクワからウラルまで行き、そこからヴォルガ川沿岸とウクライナ・ソビエト社会主義共和国を経由してモスクワに戻るルートで行われた。計34機が参加した。ルート中には16ヶ所の一時着陸地点が設けられていた。

7.「モスクワ市ソビエトの経済模範職員」バッジ(1940年):50万ルーブル(約85万円)

 模範的なモスクワ市職員を讃えるバッジは1940年に導入されたが、戦前に作られたのは見本品だけだった。このため現在ではごくわずかしか残っていない。専門家は85万円の値を付けているが、これらのバッジが売られることはほとんどない。銀製で、金めっきとエナメルの加工がなされている。外側にはクレムリンを背にした労働者と女性コルホーズ員が描かれている。1944年にはよく似た「モスクワ市経済模範職員」バッジが作られた。同じく銀製だが、こちらは10分の1の価値だ。

8.「国家工業化表彰」バッジ(1929年):40万~60万ルーブル(68万円〜102万円)

 工業化の時期(1929年~1941年)、つまり工場や交通インフラが盛んに建設された時代、ソ連は経済において信じがたい発展を遂げ、農業国から工業国に生まれ変わった。特に優れた企業や先駆者は「国家工業化表彰」バッジを受け取った。1929年のバッジは銀とエナメルでできており、名誉ある勲章と見なされていた。現存するバッジの大半は博物館の展示品となっており、オークションに出品されることはとても稀だ。特に優れた職員に与えられたアンドレ・マルティ記念造船工場(サンクトペテルブルク最古の造船企業「海軍省造船所」のソ連時代の名称)の図柄入りのバッジは、保存状態に応じて40万~60万ルーブル(68万円〜102万円)で売られている。

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