画家が描いたシベリア

V.German/Sputnik
 この過酷な大地の果てしない広さと美しい未開の自然は、常に芸術家を惹きつけてきた。

 ロシア人が集団でシベリアにやって来たのは16世紀後半のことだった。「石」(ウラル山脈)を乗り越えた帝国軍とコサック隊はゆっくりと着実に東へと進み始めた。 

 彼らは道中で小さな要塞を築き、これが後に大きな街(例えばイルクーツクやヤクーツク)に成長した。それから4世紀以上が経ったが、現在でもこの広大な地域はあまり開発が進んでおらず、人口も少ない。

 ロシア帝国時代、シベリアは権力に歯向かう政治犯や、蜂起・反乱の参加者、あらゆる革命家や無政府主義者の流刑先だった。ソ連時代も1960年代初めまではシベリア流刑が実行されていた。

 現在シベリアはロシアの宝石箱だ。ここには多種多様な天然資源が大量に眠っている。鉛、プラチナ、泥炭、石炭、銅、ガス、銀、そして「黒い黄金」と呼ばれる石油などだ。

ニコライ・カラムジン『新しい地を調査するシベリアのコサック』(1891年)
アポリナリー・ヴァスネツォフ『濃い薄明』(1899年)
ワシリー・スリコフ『エルマーク・ティモフェエヴィチのシベリア征服』(1895年)
クラヴディー・レベデフ『ロシア人による新しい地の開拓』(1904年)
コンスタンチン・コローヴィン『バイカル湖畔のタイガ』(1900年)
ワシリー・ヴェレシチャーギン『チュソヴァヤ川のピーサンヌイ岩』(1877年)
セルゲイ・ミロラドヴィチ『アヴァクムのシベリアの旅』(1898年)
グリゴリー・チョロス=グルキン『アルタイ山脈の遊牧地』(1920年代)
ニコライ・スヴェルチコフ『大いなるシベリアの道を行く』(『流刑へ』)(1883年)
ニコライ・チェヴァルコフ『テレツコエ湖にて』(1926年)
 アンドレイ・マルトィノフ『シベリアのセレンガ川の眺め』(1817年)
レオポリト・ネミロフスキー『バイカル湖、ペシチャナヤ入り江の小鐘楼岩』(1840-1850年代)
グリゴリー・チョロス=グルキン『カラコル湖』(1916年)
グリゴリー・チョロス=グルキン『山の霊の湖(デヌィ=デリ)』(1910年)
アポリナリー・ヴァスネツォフ『シベリア』(1894年)
ヴィケンチー・トロフィモフ『イルトィシ川』(1928年)
グリゴリー・チョロス=グルキン『ハン・アルタイ』(1912年)
アンドレイ・マルトィノフ『バイカル湖のニコリスキー修道院の眺め』(1806年)
レオポリト・ネミロフスキー『オホーツク道沿いの森での野営』(1856年)
グリゴリー・チョロス=グルキン『ウララ近郊』(1900年)
ワシリー・スリコフ『古きクラスノヤルスク』(1914年)
ドミトリー・カラタノフ『風景』(1930年)
ミハイル・オンビシ=クズネツォフ『シベリアの油田労働者』(1980年)

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