ロシアの農民の子供たちが遊んだおもちゃ:素朴さと創意工夫と伝統の美

カルチャー
ゲオルギー・マナエフ
 「クバーリ(独楽)のように回る(転がる)」というおなじみの表現があるが、「クバーリ」とは何だろうか?ちなみに、ロシアの子供たちは何世紀にもわたってこのおもちゃを愛してきた。これ以外にも、覚えておいたほうがいいおもちゃがある。

 ロシアの伝統的な子供用玩具のすべてに共通するのは主に、単純素朴さと製造費の安さだ。これらのおもちゃは、親が子供たちのために、厳しい労働の合間に、スクラップ材料から作った。

 そして、作り方は親から子に受け継がれ、何世紀にもわたって磨かれてきた。ほとんどすべての父親は、息子のために木で馬を彫り、娘には人形を彫った。娘はそれを布切れで飾った。

 農家にはおもちゃが少なかったから、とても大事にした。そして、農民の子供たちにとって、それらで遊ぶ時間はもっと貴重だった。5~6歳のころから彼らは、家の仕事の手伝いをさせられたからだ。まず第一に、弟妹の世話をする。5歳ごろからは、子供たち自身が、弟妹のためにごく簡単なおもちゃを作る方法を覚えた。



人形いろいろ:ザクルートカ、ストリグシカ、ニャジャシカ

 ロシアの伝統的な人形には、顔や目は決して描かれなかった。この点について、研究者ガリーナ・ダインはこう述べている。

 「布切れでこしらえた伝統的な人形に顔が描かれていないのは、明らかにスラヴ人のアニミズム的世界観の名残りだ。顔のない人形は、魂がないと考えられ、邪悪な力は、その中にのり移ることができなかった」

 人形の顔は、欧米の都市部のおもちゃの影響を受けて、ようやく19世紀末に現れた。とはいえ、ロシア人は、さまざまな種類の人形を生み出す創意工夫に満ちていた。

 古代の習慣では、女性は、子供が生まれると気がつくやすぐに、布切れの人形「ザクルートカ」を作り始めた。その際、針を使わずに手だけで作った――金属は「危険な」モノだと考えられていたからだ。人形の中には、布切れだけが詰められていることもあれば、穀類、干し草、羊毛で満たされていることもあった。出産前から、用意されたゆりかごに「ザクルートカ」を入れておき、赤ちゃんが生まれると初めてのお守り兼おもちゃになった。

 こうした人形は、他の布でくるんだり、着飾ったり、抱きしめたりすることができる。もちろん、時間が経つにつれて人形は、あちこちがほつれて汚れた。しかし、それを解き、洗って、元に戻すのは簡単だった。そして、こういう作業は、次第に子供たち自身が習得していった。

 「ザクルートカ」の一種に、「ニャジャシカ」がある。この名は、「かわいがる」(нежить〈ニェージチ〉)という言葉から派生している。この人形はきれいな布切れで作られているので、子供がキスしても健康に害はない。


 「ストリグシカ」という人形もある。これは、赤ちゃんを落ち着かせ、楽しませるために、しばしば文字通り畑で、藁から作られた。結局、家族総出で野外に出るときに赤ちゃんの世話をする人がいなければ、赤ちゃんもいっしょに連れていかねばならなかったから。

 家では、もっと楽しく「ストリグシカ」と遊ぶことができた。布切れの服を着せて、人形の下の部分を切ると、藁の束だから、テーブルや床の上に立たせることができた。足踏みしたり、手で叩いたりして振動させると、「ストリグシカ」は「踊った」。

 藁の束を下からうまく半円形にカットすると、人形はテーブル上で倒れずに、小さな「ステップ」で動いた。同じダンスを繰り返すことはなかった!また、何体かの「ストリグシカ」を集めると、ロシア風の群舞をさせることもできた。

 冬の間は、大きな「ストリグシカ」が窓枠の間に置かれた。雪解けの時期、ガラスに付着していた霜が溶けたときに、藁は湿気をよく吸収し、窓枠は膨らまなかった。こういう大きな「ストリグシカ」は、窓枠での「お務め」の時期が終わった後で、子供たちに与えられた。


クバーリ(独楽)

 「クバーリ」は、実は単純な独楽だ。しかし、ロシアの伝統では、遊ぶときに革の鞭を使ったので、ゲームははるかにエキサイティングだった。「クバーリ」は、直径4~8センチメートル、高さ5~11センチメートルの円柱を削って作った。

 このおもちゃはロシアで非常に人気があり、10世紀以降のさまざまな考古学上の地層で発見されている。預言者オレグ、イーゴリ公、ウラジーミル1世(聖公)などが自らクバーリで遊んでいる。古代ロシア人の間で最も普及した遊びの一つだったと言って間違いないだろう。

 クバーリは、まず手で捻って回し、さらに鞭で打つ。すると、クバーリは跳ね上がり、もっと速く回転する。

 クバーリにはいろんな種類のゲームがあり、いちばん楽しいのは冬のそれだ。川面の氷上に競技場が設けられて、2人のプレーヤーが交互にクバーリを鞭打ち、フィールドから相手側に追いやろうとする。

 名人級になると、障害物のある「ルート」に沿ってクバーリを誘導したり、宙返りさせたりできる。もちろん、「クバーリのように回る」という表現は、このおもちゃの名前に由来する。



「動くおもちゃ」

 ロシアの、いろいろと動かせる玩具、昔の言い方では、「動きのあるおもちゃ」は、木彫りとプロポーションのつけかたに特別な技能が必要であり、おもちゃの職人集団によって作られた。そうした集団はたくさんあり、それぞれ独自の様式と伝統があった。

 しかし疑いなく、動くタイプのものを含め、木製玩具が専門的に作られた最も有名な場所は、セルギエフ・ポサード付近、とくにボゴロツコエ村だった。ボゴロツコエの木製玩具は、19世紀の初めから広く発展し始めたが、大昔から存在していた。

 伝説によると、ラドネジの聖セルギイ(セルギエフ・ポサードにある聖セルギイ大修道院の創設者)自身が、木のおもちゃを作って子供たちに与えるのが好きだった。

 セルギエフ・ポサード近郊の彫刻家は、非常に熟練しており、木で磁器の置物に似せたものを作れるほどだった。おもちゃの制作には、ボダイジュ、ヤマナラシなどの柔らかい木を用いた。また、これらの木から、教会の木製家具、イコノスタシス、装飾も作った。こうした仕事において、地元の職人は、何世紀ものあいだ経験を積んできた。

 動くおもちゃの生産の中心地は、セルギエフ・ポサードから30キロメートルのボゴロツコエ村だ。そこでは、文字通りすべての家でおもちゃが作られていた。ただし、他のほとんどの職人集団のおもちゃとは異なり、ボゴロツコエ村のそれは、塗装されず白木のままだった。その眼目は動きにあったからだ。

 最も有名な「モデル」を見てみよう。まず、これは「男と熊」で、長方形の台座を動かすと、男と熊が交代で鉄床を打つ。

 そして、木の錘が糸でぶら下がっているタイプのおもちゃもたくさんある。錘をぐるぐる回転させると、円状に並んで立っている鳥が餌をついばんだり、男たちが草刈りをしたりする。錘のあるタイプのいちばん単純なものは、太鼓を叩くうさぎ(または兵士)だ。


音を立てるおもちゃ

 音を立てるおもちゃで最も有名なのは、粘土製のウグイスで、中に水が注がれている。鳥の尻尾を吹くと、「ウグイスのトリル」が聞こえるように工夫されている。美術評論家エレーナ・コヴイチェワはこう書いている。

 「鳥の鳴き声を思わせる笛の音はすべて、昔のロシア人の意見によると、邪悪な力を恐れさせた」

 ヴャトカ県(かつてヴォルガ中流域にあった行政単位)には、春の祝祭「スヴィストゥニヤ」(または「スヴィストプリャスカ」)もあった。この祭りで子供たちは、粘土製のウグイスを数日間続けて吹き鳴らし、春を呼び、悪霊を追い払った。同じことが、いろんな種類の鳴子、ガラガラ、打楽器の類で行われた。

 もちろん、オカリナの仕組みで作られた、動物や人をかたどったさまざまな粘土の笛があった。たとえば、ドゥイムコヴォ村(ヴャトカ県)、フルドネヴォ村(カルーガ県〈現在は州〉)、アバシェヴォ村(ペンザ県〈現在は州〉)には、粘土製玩具の伝統がある。なかでも、たとえば、アバシェヴォ村のそれは、古代民話の動物のイメージを、何世紀もの歳月を超えて伝えており、原初の芸術を思わせる。