1. エフゲニー・オネーギン(詩人アレクサンドル・プーシキンの韻文小説『エフゲニー・オネーギン』の主人公。1833年)
『エフゲニー・オネーギン』は、プーシキンの残した数ある作品の中でも、珠玉の名作とみなされている。19世紀を通じ最大の影響力をもったこの大詩人は、当時のロシアの生活を多面的に活写した見事な傑作をものした。その同名の主人公は、この時代の悪徳を体現していると言えよう。
これは退屈し切った若い貴族だ。一日も働いたことがない。生活は無意味な気晴らしに満ち、自堕落である。自分の親友をからかい、その恋人を誘惑する(これも気晴らしだ)。その挙句、彼を決闘で撃ち殺す。ひどい男ではないか…。
2. アレクセイ・モルチャリン(作家、外交官アレクサンドル・グリボエードフの戯曲『知恵の悲しみ』の登場人物。1824年)
『知恵の悲しみ』は、作家で外交官のアレクサンドル・グリボエードフの戯曲(1824年)で、非常に成功した。この作品では、ロシアの貴族社会の偽善が皮肉られている。誰もが誠実で正直であることを忘れ去り、コネや自分の影響力に執着している、と。
モルチャリンという名は「寡黙な男」を意味する。これは若い秘書で、年老いた貴族に仕えているのだが、自分が出世するためなら、何でもやってのけようという男である。自分の主人の娘に恋するフリをすることも含めて。
かくして彼の名は、狡猾で無節操な出世主義者の同義語となっている。自分の出世を助けてくれるなら、言ってみれば誰の尻にもキスしようというのだから。
3. ステパン・プリューシキン(ニコライ・ゴーゴリの長編『死せる魂』の登場人物。1842年)
『死せる魂』では、主人公パーヴェル・チチコフがロシア各地を旅し、地主たちから既に死亡している農奴を二束三文で買い漁る(彼は、これを担保に銀行から大金を借りる詐欺をもくろんでいる)。チチコフが出会う地主は十人十色だが、どれもおおむね不愉快な人物だった。
プリューシキンはたぶんその中でも最悪だ。彼は年老いた貪欲きわまる男で、できるかぎり何でもかんでも集めまくり、ただしまい込んでいる。しまい込んでいるだけだから、それらの財産は文字通り朽ち果ててつつある。
4. ポルフィーリー・ゴロヴリョフ(あだ名は「ちっぽけなユダ」。作家ミハイル・サルトィコフ=シチェドリンの長編『ゴロヴリョフの人々』の登場人物。1880年)
読者は気づかれたと思うが、19世紀ロシアの作家は、貴族社会を好んで批判した。その点では、露悪的なまでに正直なサルトィコフ=シチェドリンより徹底的にやれた人は少ないだろう。
代表作『ゴロヴリョフの人々』で作者は、にっちもさっちも行かなくなっている或る貴族の家庭を描いた。そこでは、遺産の分け前にありつくために、子供たちが不正行為や詐欺を行っている。
ポルフィーリー・ゴロヴリョフは、あだ名が「ちっぽけなユダ」で、なかでも最悪だろう。欺瞞と裏切りにより彼は、家族の財産をすべて手にするが、結局、それでも満たされない。この小説の他の登場人物のほとんどすべてがそうであるように、彼もまた悲惨な死に方をする。サルトィコフ=シチェドリンの暗鬱な作品は、神経が弱い人には向いていないかも。
5. グルシニツキー(詩人ミハイル・レールモントフの長編『現代の英雄』の登場人物。1840年)
レールモントフ唯一の小説の主人公は、グリゴリー・ペチョーリン。上に述べたエフゲニー・オネーギンに似たところがある。
ペチョーリンもまた、自分の生活に飽き飽きした貴族で、何を見ても何をしても心が動かない。そして出会った人間の生活をも破壊していく。にもかかわらず、彼は自身の罪深さを悟っており、根本では賢い人間だ。
しかし、彼にはドッペルゲンガー(分身)がいる。自己愛に満ちた凡人のグルシニツキーだ。この将校は、ペチョーリンの才能をもたずに、その悪徳をすべて備えているので、読者の嫌悪感はもっと大きい。ペチョーリンは、彼を決闘で彼を殺すのだが、それがほとんど救いのように感じられるほどだ。
6. マルファ・カバノワ(劇作家アレクサンドル・オストロフスキーの戯曲『雷雨』の登場人物。1859年)
女性も悪人になり得る。そのことを、劇作家アレクサンドル・オストロフスキーは、戯曲『雷雨』(1859年)で証明してみせた。
マルファ・カバノワは、富裕な商人の未亡人で、家族をいわゆる鉄の拳で支配している。むっつりと気難しく、正教の道徳を振り回す彼女は、結局、息子の嫁カテリーナを自殺に追いやる。
カバノワのケースは、嫁姑戦争の一典型ではあるが、同時にまた、何世紀にもわたり進歩的なロシア人を悩ませてきた、中世的で、頑迷固陋で、暗鬱なロシアを象徴しているとも言えよう。
7. クラーギン家(レフ・トルストイの大作『戦争と平和』に出てくる一家。1865~1869)
トルストイのこの記念碑的大作には、その舞台となった時代の悪徳と美徳が反映されており、前者を担うのがクラーギン家だ。老公爵ワシリー・クラーギンは、狡猾で傲慢な陰謀家で、宮廷での勢力拡大のためなら、けっこう悪辣な陰謀もふくめ、何でもやる。
彼の子供たちはもっと悪い。息子のアナトーリは絶世の美男子で、ポーランド女性と密かに結婚しているにもかかわらず、無邪気なヒロイン、ナターシャ・ロストワを誘惑する。アナトーリの妹エレンは、これまた絶世の美女だが、夫も愛人たちもぜんぶ欺く典型的な「淫女」だ。おまけに兄と妹は近親相姦の関係にあると噂されている。クラーギン家は、トルストイが嫌った悪徳をすべて備えている。
8. パーヴェル・スメルジャコフ(フョードル・ドストエフスキーの大作『カラマーゾフの兄弟』の登場人物。1879~1880年)
ドストエフスキーは、悪人たちを見事に描いた。そのキャラクターを入れなければ、このリストは不完全だろう。パーヴェル・スメルジャコフは、老フョードル・カラマーゾフの私生児で、父の家で料理人として働いていた。たぶん、この男こそ最も恐ろしい人間だ。
スメルジャコフは、生まれながらの人間嫌いだ。父も、ロシアも、世界も、そして自分自身をも嫌悪している。「ロシア人を鞭打ってやる」のは悪くないなどと言う。彼は召使の身だが、自分が「主人」になり、あらゆる人間を罰することを夢想している。結局、スメルジャコフは、父親の殺害を企て、実行し、自分も自殺する。
9. 看守(ヴァルラーム・シャラーモフの連作短編『コルィマ物語』の登場人物。1953~1973年)
これは、特定の個人ではなく、集合的なイメージだ。つまり、ソ連の強制収容所で働くすべての看守たちの。シャラーモフは、スターリン治下の強制収容所で14年間を過ごした。
彼の作品は、基本的にドキュメンタリーだ。『コルィマ物語』と題された連作短編には、実在した恐るべき事物が描かれている。飢え、無力な囚人、そして看守…。彼らは囚人を理由もなく殺すことがあった。これは、シャラーモフが勝手に考え出したことではない。そういう人々は実際にいた。しかも多数いたのだ。
10. アンドレイ・コミャガ (ウラジーミル・ソローキンの『親衛隊士の日』の登場人物。2006年)
この小説では、風刺とディストピアが融合している。舞台は、2028年に復活した「帝国」。ロシアは、超正統派の正教を奉じる君主制となっている。そこでは、新たなオプリーチニキ(元来は、16世紀のイワン雷帝の親衛隊)が、ツァーリの名において国民を脅かし、あらゆる人間を殺したり恐喝したりする。
この小説の主人公アンドレイ・コミャガ も、そういうことをやっている。彼の一日は、殺人、レイプ、麻薬、乱交などで満たされているのだが、彼は常に神の名においてそれらを行う。