ロシア文学の巨匠たちからのアドバイスは他にもたくさんある。ロシア・ビヨンドが、彼らの考えのうち特に興味深く、文章を書く際に役立つであろうものをまとめた。兎にも角にも、かつてアントン・チェーホフが言ったように、創造の喜びを味わった者にとってはそれ以外の喜びなどないに等しいのである。
簡潔に
アントン・チェーホフはかつてこう言った。「書く技は削る技だ。」
困難で痛みすら伴うかもしれないが、これが物語を面白くする方法なのだ。作家たる者、無駄をそぎ落とす能力を育み、始めから簡潔に書くすべを身に付けなければならない。フョードル・ドストエフスキーはこれがいかに重要かを強調している。「(…)作家の最も偉大な能力は削る能力だ。そのすべを知り、削除できる者だけが先へ進むことができる。偉大な作家は皆極めて簡潔に書いている。そして最も大切なのは、一度述べたことや誰でも知っていることを繰り返し書かないことだ。」
閃きを待たない
閃きや兆しを待つ必要があると考えているのなら、それは間違いだ。一生待っても来ないかもしれない。最も有名な(そして非常に多産な)ロシア人劇作家の一人、アレクサンドル・オストロフスキーはこう言った。「作家や詩人が物を書けるのは閃きが訪れた瞬間だけだと未だに広く信じられている。これが、作家らが何年も閃きを待ち続けて何も得ないでいる理由だと言うのか。私はただこう確信する。閃きというのはひたむきに書き続けている時にこそやって来るのだ。」
例のプロセス(閃く>創造する>書く)に対する見方を変えてみよう。例えば、特に閃きがないにしても、とにかく作業を始め根気強く取り組んでいれば、閃きや創造性が努力の結果生まれるかもしれない。ドストエフスキーは、創造性は先天的な特質だと確信していた。つまり創造性は誰にでも備わっており、懸命に働きさえすればそれを感じることができるのだと。
「創造性は(…)人間にとって欠くことのできない有機的な属性である。(…)それは人間精神に必須の要素である。それはまさに両手や両足、胃袋などと同様に人間にとって正当なものである。人間と創造性とは不可分であり、それは人間の一部なのである。」ドストエフスキーの言葉だ。
簡潔で分かりやすく
自分に身近なことが書かれていると感じる時にだけ、読者は作品を理解し、感情移入し、最後まで読み通す。レフ・トルストイがかつて言ったように、「優れた美術のオブジェが優れているのは、ただそれが誰にでも接近可能で理解可能だからである。」
そんなわけで、自分が実際に知っていることは簡潔に書き、人々に要点が伝わるか熟考するように努めよう。
オリジナルであれ
若い作家はよく、自分たちの憧れる作家を模倣することから始めるが、これでは何にもならない。他人のスタイルを採用するだけでは成功はつかめない。自分のスタイルや指針を開拓することが重要だ。
19世紀のロシア人小説家イワン・ゴンチャロフが言ったように、「創造性を得るすべを会得することはできない。創造者たる者は皆それぞれ独自の方策を持っている。高水準のスタイルを真似することはできるが、これでは何にもならない。創造的な精神に貫かれた作品を書くことはできない。」
というわけで、自分だけのやり方を見つけて創造性あふれる書き手になろう!
自分の言語の豊かさを知る
優れた言語能力は作家に欠かせないもので、スタイルを工夫し続けることは作家の創造世界の生命線だ。言語は聴衆とつながるための唯一の道具であり、言語を完璧にすることは十分理に適っている。
マクシム・ゴーリキーが強調するように、「斧をどう握るか知らなければ、木を切ることはできない。言語、それも誰もが美しく明晰だと感じる言語をよく知らなければ、書くことは難しいだろう。」