ディミトリー・ホロストフスキー死す:オペラのレジェンドを追悼

ニーナ・ゾチナ/RIA Novosti
 偉大なバリトン歌手、ディミトリー・ホロストフスキーが11月22日、ロンドンで亡くなった。55歳だった。ロシア・ビヨンドは彼の足跡と遺産を振り返る。

自力で世界の頂点に

 ディミトリー・ホロストフスキーは、1962年に東シベリアのクラスノヤルスク市で生まれた。父は化学者で、母は小児科病院に勤務していた。父はピアノを弾き、歌うのが好きで、世界の偉大なオペラのスターの録音を数多く集めて聞いていた。

 息子ディミトリーも、やがて歌うのが大好きなことが分かった。クラスノヤルスク芸術大学を卒業すると、5年間(1985~1990)、クラスノヤルスク国立オペラ・バレエ劇場でソリストとして活動する。

 

一夜にして世界的名声を得る

 ホロストフスキーの強靭にして深く柔らかい声質は、1989年、イギリスのBBCカーディフ国際声楽コンクールで絶賛され、優勝を飾る。その後、コヴェント・ガーデンをはじめとし、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場など、世界最高の檜舞台への出演が相次ぐようになった。

 

広大なレパートリー

 ホロストフスキーが歌えないレパートリーはないかのようで、彼が歌った役柄を見ると、ジュゼッペ・ヴェルディ「ドン・カルロ」のロドリーゴ、チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」のタイトルロールまで、信じ難いほど多種多様だ。

 またホロストフスキーは、現代の曲やポップスも歌い、軽音楽とクラシックを同じ舞台で歌うやり方も見出した。さらに彼は、ソ連・ロシアの軍歌とフォローアップコンサートのEP(コンパクト盤)でファンを驚かせた。

 

不屈の意志

 2015年にホロストフスキーは脳腫瘍を患っており、演奏活動を中断、いくつかのコンサートをキャンセルしたと発表した。しかし、そのわずか数ヶ月後には再び舞台に上がり、ソプラノ歌手アンナ・ネトレプコと共演。ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で、ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」の一方の主役、ルーナ伯爵を演じた。

 ホロストフスキーは、2016年~2017年、ガンとの闘病の間も、ロシアと海外の双方で出演を続けた。彼は、いくつかのコンサートをキャンセルするも、今年4月にイタリアのトロントで、満員の聴衆を集め、ガラコンサートを行った。そのプログラムは、主に彼の提案によりつくられたのだが、彼はロシア・オペラのアリアを希望した。

 2017年6月、ホロストフスキーは、故郷のクラスノヤルスクでコンサートを行い、聴衆は涙しつつ、スタンディングオベーションで迎えた。彼は肩も負傷しており、身体を動かすのも困難なのは明らかだったが、何度もアンコールを歌い、「私は自分の故郷に戻らなければなりませんでした」と叫んだ。

 11月22日、ホロストフスキーは、ロンドン時間の午前3時36分に死亡したと報じられた。彼は同市に1994年以来住んでいた。

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