9月19日に、第7回モスクワ国際現代美術ビエンナーレのメイン・プロジェクト展「Clouds⇄Forests」が始まった。一般公開期間は、2018日1月18日までの4ヶ月間。その舞台となるのは、国立トレチャコフ美術館内の新トレチャコフ・ギャラリー。キューレーションは、美術評論家で東京都現代美術館アーテイステイックデイレクター、東京芸術大学教授を務める長谷川祐子氏が手がけた。
「本ビエンナーレは、インターネット上のクラウド空間に生まれた『クラウド・トライブ(雲の一族)』と、大地に根をはる文化的な起源のうえに生まれた『フォレスト・トライブ(森の一族)』、両者の循環によって形成される新しい文化のエコロジーににフォーカスする企画です。参加アーティストによる作品が、国立トレチャコフ美術館の常設展示の中の作品と併置され、対話を繰り広げます。25ヶ国から51作家が参加。マシュー・バーニー、オラファー・エリアソン、ビョークなど、世界的に著名なアーティストの作品も展示されます」。同ビエンナーレの公式ホーム・ページが、長谷川氏による「テーマ解題」を載せている。
開催直前、最後の準備に余念のない長谷川氏に、ロシアと現代芸術について、ロシア・ビヨンドが話を聞いた。
―一度、ロシアはヨーロッパでもなく、アジアでもない、とおっしゃったことがあると思います。そうすると、ロシアというのは、一体なんでしょうか。その独自性は何にあると思いますか?
ロシアは、色んなものが繋がっている混合体だと思います。
例えば、ソ連時代には、中央アジアも含めて、多様な文化圏を包含し、とても大きな領域をソ連と呼んでいましたよね。ロシアになるとまた異なってきます。そのアイデンティティーは、やヨーロッパのそれとは違うし、完全にアジアと重なっているというわけでもない。ヨーロッパとアジアの間を伸び縮みしている場所がロシアだと思います。ある意味で、とらえがたくそれが魅力の場所でもあると思います。
ピョートル1世をはじめとする皇帝たちの時代、ロシア革命、そのあとの、レーニン・スターリン時代、そしてペレストロイカ、これらの大きなエポックの変化の大きさがロシアをとらえがたくしているもう一つの要因かもしれません。
―最近は山ほど多くのアーティストの作品をご覧になったと思いますが、ロシアの現代芸術をどう言い表すことができるでしょうか?
私は先ず、ナイーヴィティアート、フォーク・アートや、リアリズム絵画が強いと感じました。もう一つは、メデイアアート。例えば、アレクセイ・マーテインなんかは、どちらかというとフォーク・アートの流れにありながら、モダンな形をとっている。だから、元々ローカルなものがモダンの形を取りながら、形を変えていって現代化している、という印象を受けました。
―ロシアの古典芸術は、日本で非常に人気があると思いますが、ロシアの現代アートは、日本人の関心を引くと思いますか?
ロシアの人は、例えば、素朴でマトリョーシカみたいに温かな「可愛い」ものが好きで、デザイン的なものとか、割と具体的なものが好きだと思います。そこら辺は、日本人と共通点ががあるところかな、と思います。
あと、とても有名なのは、もちろんロシア・アヴァンギャルドの作品で、この間、日本でアレクサンドル・ロトチェンコの個展が開催されましたが、イデオロギーのプロパガンダとデザインが一緒になっていく強さがあって、こういうものは、日本にとっては興味深いと思います。
―今回のビエンアーレは、一般向けでしょうか?それとも専門家向け?
私の場合、両方を想定しています。ビエンナーレは、大きな展覧会で、ヴァリエーション、多様性があります。その多様性の中で、色々なお客さんが自分にとって面白いものを見つけていく「旅」だと思うんです。森に入ってきて、色々な不思議な動物や新しい植物に出会うような体験だと思っていただければ良いと思います。
―今年のビエンナーレの特徴の一つは、誰でも参加を申請できたことにあると思いますが、長谷川さんは、600以上のアプリケーション、そしてエキスパート・カウンシルからの数百の推奨事項を検討されたと思います。その際の主な選択基準は何でしたか?
基準はまず、私のテーマ『Clouds⇆Forest』に何らかの関係があるかどうかということ、それから、自分がクオリティーが高いと思った、あるいは、今後は色んな可能性があると思った、というところで選んでいます。
―『Clouds⇆Forest』のコンセプトを最もよく反映する作品は挙げられますか?
このテーマに対してそれぞれに違うアプローチをしているアーティストを選んでいるので、やっぱり全部を見ていただかないと、「これを見れば分かる」ということはないと思います。
例えば、ビョークは、アイスランドから出てきて、元々アイスランドのローカルな音楽や風景などを背景に強烈な個性を出してきて、グローバルに洗練されていったと思います。彼女は、色々な意味で、その「フォレスト」から出てきて、世界中に彼女の音楽をデジタルメデイアやSNSの力で広げていこうとする、「クラウド」的な部分もある人だと思います。
日本のアーティスト、島田清夏さんは、まだ東京芸大の大学院生です。花火師というとても伝統的なクラフトで修業、男性ばかりの中で、自分のオリジナルの静かな花火を作ったんです。非常に伝統的なものでありながら、それを、コンピューターを使ってスコアとしてつくりあげ、他の人たちにシェアできる形にする。これもまた、クラウドとフォレストの間を表現していると思います。
これは、エコロジーとも関わっているので、フォレストの人たちとクラウドの人たちが、どう循環して、お互いに関係を持っていくのかがテーマです。Marina Zurkovは、「365日」の変化を数十分でみせるプログラムをつくりました。その生態系と風景が一つのアルゴリズムを持っていて、自動的にさまざまな出来事がおきていくのです
例えば、何かが起こって環境が汚染されてきて、植物が枯れていく。また雨が降って、新しい生命が生まれてくるというふうに、場面・状況が一つの命を持って動いていくのです。私達が生きている場所のルーツ、生態系が、高いテクノロジーと分析によって表現されているアニメーションです。それもクラウドとフォレストの一例だと思います。
―元々持っていたロシアとロシアの人々のイメージは、この展覧会の作業を通して変わってきましたか?
若い人たちが新しい時代のあり方、またはアートなどに非常に関心を持っていることがわかりました。おしゃれで多様なレストランやカフェ、お店がありますね
それと、シニアの人たちも、美術館で多く見かけました。自分なりの時間と文化の楽しみ方を見つけているのではないかと思いました。素早く判断してどんどん動いていくというよりは、割とゆっくり考えながら行動する人たちかなという印象を持ちましたけど。
―なぜ『Clouds⇆Forest』のコンセプトが主なプロジェクトのテーマになりましたか?
私は、現代美術のキュレーターなので、今に生きていることを大切に思い起こっていることを観察してきました。
特にこの5年ぐらい、インターネット世代の人達が、色んな新しい考え方をしていることに気がつきました。ネットとかフェイスブックで繋がり、世界から情報を集めたり、いきなり友達をフェイスブックで作ったり、まったく顔を見たこともない、会ったこともない人たちとコミュニケーションしたりしています。独特のリアリティー、システム、ものの感じ方を持っているなあ、と面白く思ったんです。
もちろん、現実の体験から学ぶことが少ないので、彼らの知識は、私たちのようなネット以前の世代が身体を通して身につけたこととは大分違う面があります。
そこには善悪両面がありますが、そういう「こと・もの」を作っている感覚や文化は面白いと思ったのが最初のきっかけです。彼らは、伝統的な文化や習慣や、今地球で起きていること、例えば環境問題などにもとても興味を持ち、しかも別の見方をしていることに気がつきました。クラウドがフォレストに向かって降りていく、というふうな印象を持ったんですね。それがきっかけです。
もう一つは、そのフォレスト、さっきのビョークもそうですが、自分の生まれ育ったコミュニティーや環境に深く根を張って、深い理解を持っている人たちが、どうやってそれをシェアできるかと、グローバルに広がっていく。そういう様子を見て、とてもローカルでありながら、グローバルにもなれる可能性があるのがわかったんです。それでこのテーマができたんです。