Mayakovskaya Metro Station
Vostock-Photoいわゆる「緑の線」の正式名称は「ザモスクヴォレツカヤ線」といい、現在22の駅をふくんでおり、クレムリン、「赤の広場」、美術の殿堂「トレチャコフ美術館」、鉄道のベラルーシ駅にも通じている。その最も豪華な駅は、1930年代半ばから1940年代にかけて建設された。いずれも、ソビエト国家の威力を誇示し、労働者と農民の労働を讃えている。駅に降り立ち、眺める価値のある駅を5つご紹介しよう。
タス通信/ニコライ・ガルキン撮影
工業と農業を再建できる健康な国民を育成することが、ソ連の重要な課題の一つだった。そこでスポーツが、プロパガンダのための装飾的な美術工芸においても、主要な一テーマとなり、それがディナモ駅の装飾にも用いられたわけだ。ディナモという名前は、1928年に構成主義の様式で建設された、同名の当時最大のスタジアムにちなんでつけられた。
タス通信/ニコライ・ガルキン撮影
この駅の地上のパビリオンのデザインは、オリンピック揺籃の地である古代ギリシャを模した、新古典主義の様式で制作された。すなわち、大理石のコリント式円柱が立ち並び、それらが、スポーツ競技のレリーフ(浮彫)とフリーズで飾られている。
タス通信/ニコライ・ガルキン撮影
地下部分の装飾はもっと簡素で、7種類の大理石が使われている。装飾には、様々なスポーツ選手を描いた陶器のメダリオン(楕円形浮彫)が用いられた。これは有名な彫刻家、エレーナ・ヤンソン=マニゼルの下絵により制作されたものだ。
タス通信/ニコライ・ガルキン撮影
建築家と歴史家は、この駅がモスクワ地下鉄のみならず、世界で最も美しいと考え、それをアールデコの真の傑作としている。開業は1938年で、有名なソ連の建築家、アレセイ・ドゥシキンのプロジェクトとして建設された。当時のあらゆる最新技術を駆使している。
タス通信/ニコライ・ガルキン撮影
重々しい列柱のかわりに、飛行機用の鋼板を使った、高いスマートな柱が立ち並び、巨大な列柱ホールのような感じを醸し出している。また、それにふさわしく、アレクサンドル・デイネカの下絵による多数の名高いモザイクが、明るい照明できらめいている。ドームのモザイクの数は現在34。そのテーマは、「ソビエト国家の一日」、「2機の飛行機」、「穀物の収穫」、「スパスカヤ塔上空の飛行船」など、ソ連で人気だったもの。
タス通信/ニコライ・ガルキン撮影
この駅のデザインは、同時代人によって高く評価され、1939年にニューヨーク万博でグランプリを獲得している。
タス通信/ニコライ・ガルキン撮影
この駅は、第二次世界大戦中に建てられたもののなかでは、最も豪華な駅の一つとなった。プラットフォームに沿って、ルネサンス風の彫刻が施されたアームレストを持つ、巨大な大理石のベンチが置かれている。その上方には、旗、盾、ライフル、そしてアレクサンドル・ネフスキーからスヴォーロフ、クトゥーゾフにいたるロシアの将星の肖像が描かれた、ブロンズ製のメダリオンがある。
Global Look Press/コンスタンチン・ココシキン撮影
ホールの天井の中央には、ソ連の人々の日常生活を描いた、6つのモザイクがある。これは、レニングラード包囲戦の最中に、アレクサンドル・デイネカの下絵により制作された。これらのモザイクとそれから巨大なブロンズのシャンデリアが天井を飾っている。モザイクの主な色調は青だ。地底にあって、青空を模すためである。
タス通信/ニコライ・ガルキン撮影
戦後、これらの豊かな装飾にさらに、石膏のフリーズの彫刻が装飾列柱の上に加えられた。そこには、戦争や愛国主義に関するテーマが、勲章ととともに表現されている。
Vostock-Photo
これは、マヤコフスカヤ駅とならんぶ、モスクワの地下ミュージアムの誇りだ。この駅を出ると、すぐボリショイ劇場、マールイ劇場、赤の広場、クレムリンなどがあるので、その装飾は豪華さで、ロシア人も外国人も驚かせるに足るものでなければならなかった。これを設計したのは、ロシアの有名な建築家、イワン・フォミンで、彼はその改札広場を「アヴァンギャルド・ホール」と呼んだ。これが彼の最後の作品となった。
タス通信/ニコライ・ガルキン撮影
列柱、ひし形の格間で飾られた中央ドームは、大理石が張られている。床は市松模様で、黒と黄色の花こう岩からできている。装飾としては、巨大な陶器の浮き彫りが選ばれた。テーマは、ソ連の諸民族のダンスと音楽。ただ、そこに描かれた踊り手や音楽家は、7共和国の民族衣装を着た者しか見当たらない。つまり、グルジア、アルメニア、カザフスタン、ウズベキスタン、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアだけだ。
タス通信/ニコライ・ガルキン撮影
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