北の都のバーニャ作法

ヴェーニキと呼ばれるバーニャ用の枝箒=AP通信
 サンクトペテルブルクには今も20ルーブル(およそ30円)という料金で入れる市営のバーニャ(ロシア式蒸し風呂)が残っている。

 ワシリエフスキー島の17番ラインにペテルブルクでもっとも人気のあるバーニャのひとつがある。大きなサウナ室と建物の全ての階を通過する形で設置された巨大なペチカを備えた本物のロシアのバーニャの料金はバスに1回乗るのと同じ金額だ。女性用サウナには60以上の荷物用棚があり、親切な女性従業員がいて、観葉植物がジャングルのように置かれていて、マッサージルーム、ペディキュアサロンがある。

 

サウナ室でのルール

 平日の料金は1時間半で45ルーブル(およそ70円)、毎週火曜日は割引デーで20ルーブル(およそ30円)。中では白樺や樫でできたヴェーニキと呼ばれるサウナ用の枝箒(発汗を促すために身体を叩くもの)が売られている。蒸気浴を楽しむためにやって来る人もいれば、近くにあるお風呂のない共同住宅から身体をきれいにするためにやって来る人もいる。サウナ室では40〜60人の女性が暗黙のルールを守っている。そのルールとは、誰かが焼けた石に水をかけている間は、蒸気を「飲み込んで」しまわないよう黙っていること、そして蒸気が充満しないうちは枝箒を使わないというものだ。かなり年老いた女性が杖を片手に、湿った木の階段を一段一段つらそうに登っている。女性は階段を登り切ると幸せそうに蒸気を吸い込み、こう言う。「娘さんよ、腰を温めておくれ。でないと家に帰れないからね」

 このバーニャは人口の多いワシリエフスキー島にある最後の市営のバーニャである。数年前、ガヴァンスキエ・バーニが閉鎖されて以来、17番ラインを訪れる客は「元ガヴァンスキエの客」と昔からこのバーニャに通う常連客とにはっきり分かれる。また街の中心部により近いところにもう一つ、さらに古く、有名なバーニャがある。

ネクラソフ通りのバーニャ。レーニングラード、1977年。ネクラソフ通りのバーニャ。レーニングラード、1977年。

犯罪の巣窟、映画のロケ地

 現在、4番ラインの角の家に「ジンジャー」と書かれた派手な看板がある。この建物は19世紀にバーニャを作るために特別に建てられたものだ。それから167年間にわたり、サウナとして、お風呂として、くつろぎの場所として愛されている。ここは7つの部屋に分かれていて、その中には子連れの母親のための部屋もある。女性用サウナ室で正しくサウナを楽しんだ後、わたしは女性従業員の助言に従い、男性用サウナ室へと向かった。従業員曰く、男性用サウナ室にこそ常連客がいるということだった。男性用の廊下への入り口できちんとノックする。従業員、マッサージ師、そして客たちは皆20年から30年もの付き合いだという。彼らは1990年代、このバーニャが地元の犯罪者たちの巣窟だったことを記憶している。

 客のひとりウラジーミルさんは言う。「犯罪者たちがここにやってきて、ゴールドのチェーンや十字架をピカピカさせて、このサウナ室に腰掛けていたよ。でも派手な争いはここでは起きなかった。やはりバーニャは彼らにとっても聖なる場所なのだろう。1994年、ワシリエフスキー島では27件の依頼殺人があったんだ。島だけで、だよ。わたしは当時、地元の警察で働いていたからよく知っているのさ」

 一方、4番ラインのバーニャが有名なのは犯罪者の巣窟だったからではない。毎週、有名なロシアの映画監督アレクセイ・バラバーノフがここに通っていたからだ。またロシアのカリスマ的映画となった「ブラート(ブラザー)」に登場するバーニャのシーンはここで撮影された。ホールの壁には映画のシーンを映した写真が飾られている。30年にわたってバーニャで働く地元のマッサージ師イーゴリさんは「リョーシャ(バラバーノフ監督の名前アレクセイの愛称)のことはよく知っているよ。サウナが好きでね。昔はレンフィルム(ソ連の大きな映画会社)の指導部がみんなでここに来てたよ。当時は大きな会社の社員たちが連れ立ってここに通っていたんだ。それぞれの会社が何曜日にくると決まっていたものさ」

 

バーニャではみんな平等

 このバーニャは、他の多くの施設同様、1990年代に市営から民営となった。市営として残ったのは指導部が当局と良好な関係にあったバーニャのみで、そうしたバーニャは市からの資金を受け取り続けている。しかし誰もが600ルーブル(およそ940円)もの料金を出して「ジンジャー」に定期的に行けるわけではない。

 バーニャの従業員たちは、バーニャの経営は概して赤字だと打ち明ける。しかし人々には安価でサウナに入ったり、身体を清潔にしたりできる場所が必要だ。マッサージ師のイーゴリさんはこう話す。「ワシリエフスキー島にはお風呂のない共同住宅がたくさんある。それにお風呂があったとして、バーニャのようにはきれいには洗えない。しかもバーニャは身体と心をより健康にするのです。バーニャではみんな平等なんです。1990年代、わたしは地元のすべての権威者、それから地元の警察官全員の背中を治しました。しかしわたしは誰にも何もしてもらっていません。なぜならわたしはマッサージのスペシャリストとして、彼らによいマッサージを施しただけだからです」

 平日の夜にわたしは別の市営のバーニャに足を運んだ。ペトログラツカヤの方にあるチカロフスキエ・バーニである。戦後のアンピール様式風に建てられた円柱のついた立派な建物で、2つの翼廊があり、1つはフィンランド式サウナ、もう1つはロシア式サウナで、入場料はそれぞれ35ルーブル(およそ55円)、45ルーブル(およそ70円)となっている。バーニャに入ってみた。

 女性用サウナ室の従業員エレーナさんは言う。「お客さんはいろいろな理由でここにやってきます。習慣だという人、健康のために通う人。たとえば98歳のおばあさんがいて、彼女は歩くのも困難で、恐らくサウナに入ってはいけない健康状態ではないかと思うんですが。しかし彼女は1ヶ月に1度、サウナに来るんです。しかも着替えを手伝おうと申し出ると、毎回必ず断るんです。『背中だけ拭いてくれさえすれば、あとは自分でゆっくりできるから』と言ってね」

もっと読む:ペテルブルクのコムナルカの住人たち>>>

このウェブサイトはクッキーを使用している。詳細は こちらを クリックしてください。

クッキーを受け入れる