謎めいた「去勢教」の歴史

去勢派(スコプツィ)の信徒=

去勢派(スコプツィ)の信徒=

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 現代ロシアにスコプツィ(キリスト教の宗派である去勢派の信徒)は残っていないだろう。だが一部のデータによれば、19世紀にはスコプツィが100万人ほどいたという。

 「残念ながら私はあなたの父ではない。教え(去勢)を受け入れるならば、私はあなたを息子と認めよう」。一説によれば、開祖コンドラチー・セリワノフは(1797年)、ロシアの皇帝パーヴェル1世にこのように言ったという。パーヴェル1世はセリワノフの教義に感銘を受けることなく、狂気の者専用の修道院に送った。だがこの時までに、罪からの救いとしての去勢の教義はロシア各地に広がっており、多くの信者がいた。

 「スコプツィ」という言葉は、「去勢」を意味する古い言葉(動詞)「オスコピチ」からきている。ちなみにスコプツィとは複数形で、単数形はスコペツ。信者は自分たちのことをこうは呼ばず、ロマンチックに「神の子羊」や「白い鳩」と名乗っていた。最も勢いのあった時には、教育水準の低かった農民の間でも、サンクトペテルブルクの商人の間でも、信者がいた。

 

信仰の原点とは

 自己去勢の儀式は、これより前にも熱心なキリスト教徒の間に存在していた。去勢信仰の最も重要な教義は、「マタイによる福音書」の一節(19-12)であった。「人から結婚できなようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる」(新共同訳)。その後、聖書の何気ない一節も自分たちなりに解釈するようになった。例えば、イエスが弟子たちの足を洗う場面を、弟子に対する去勢と考えた。

 スコプツィは、ロシアの宗派の大きなマトリョーシカの中の小さな人形だったと言える。これは別の「フルィストィ(キリスト教の宗派である鞭身派の信徒)」から派生している。鞭身派は古儀式派から派生している。古儀式派とは、もともと普通の正教徒であったものの、17世紀に正教が断行した教会改革に反対し、分派した、保守的な信徒である。スコプツィはフルィストィの禁欲的な考え方を守りつつ、さらに厳格になっていった。「火の洗礼」すなわち男性の陰茎と睾丸の切断、女性の乳房切断を実践するようになった。

 歴史学者で宗派研究者のセルゲイ・ツォヤ氏の見解では、当時、ロシアで分派が進んだ理由は、公式な正教会が官僚主義的になり、組織が劣化したと多くの人にとらえられたからであり、失望した人々は宗派で正しい信仰を模索したのだという。

スコプツィ=ru.wikipedia.orgスコプツィ=ru.wikipedia.org

 

スコプツィの誕生と繁栄

 スコプツィの「父」と考えられているのは、オリョール県(モスクワから360キロ)の鞭身派の農民3人。自分たちと他に30人を去勢した。淫欲の罪を防げば、永遠に生きることができると信じていた。去勢を自らに施した一人がセリワノフで、やがて自分をイエスだと宣言するようになる。信者は1772年、シベリアに流刑されたが、これはセリワノフに有利にしかならなかった。その後シベリアに同じく流刑されたセリワノフは、20年後に数十人の農民を信仰にひきいれた権威ある神秘家として、サンクトペテルブルクに戻った。

 1790年代までに、商人や兵士の間でスコプツィが出現するようになった。1802年には貴族アレクセイ・エレンスキーが入信し、流刑された。エレンスキーは1804年、ロシアの政権をスコプツィに引き渡すよう皇帝に提案したことから、再び流刑された。セリワノフは政治に介入することなく、狂信的な儀式でサンクトペテルブルクのボヘミアンの間で人気者となった。当時、神秘主義が流行していたのだ。当時の高官フョードル・ルビャノフスキーによれば、アウステルリッツのナポレオン軍との戦いの前に、皇帝アレクサンドル1世までもがセリワノフを訪ねたという。セリワノフは「呪われたフランス人(ナポレオン)と開戦してはならない」と言い、敗北を予言した。

 この宗派の伝説的な時代が終わったのは、数人の近衛士官が去勢を受けた1817年。セリワノフは逮捕された。だが信仰は、時すでに遅しで、各地に広がっていた。

 19世紀半ばから終わりにかけて、ロシアではスコプツィが普通の現象になっていた。スコプツィは社会のさまざまな層をひきつけた。商人や貴族にとって、これは「トレンド」であったし、また神秘のエキゾチックであった。スコプツィはフォークロアのテーマとなり、大衆性は農民を魅了した。スコプツィが永遠の命を確言していたこと、セックスを罪とする解釈が昔からあったことで、多くの人が去勢を受けた。この宗派には富が集まり、勧誘活動に費やされた。農奴を勧誘し、孤児には孤児院を与え、貧しい人を支援した。スコプツィの人数についてはさまざまな意見がある。6000人、数十万人、または100万人などと言う人がいる。

 

スコプツィの終焉

 「ロシア革命まで、スコプツィには効率的に対処できず、黙認されることが多かった。また、19世紀、政府は大きな領土を管理しきれていなかった。迫害されたスコプツィは集団で北部やシベリアへと渡った」とツォヤ氏は話す。宗派がつぶされたのはスターリン時代。信者は弾圧され、逮捕された。

 今日、スコプツィは消滅したと考えられている。400人のスコプツィが残っているとの一部論争もあるが、確固たる証拠はない。無理に現代スコプツィに当てはめるとすれば、反セックス主義者であろう。「ロシアには2000人ほどの反セックス主義者がおり、その中に宗教的な禁欲主義者もいる。その一部は自己去勢を歓迎している」と、この運動の活動家ミッラさんは話す。

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