元製菓工場「ボリシェヴィキ」の正面入り口を通過すると、マンションや現代的なビジネスセンターに囲まれた美術館広場が目の前に広がる。モスクワでまだ新しさを失っていないロフト・スタイルで工場は改築された。てがけたのは、イギリスの建築事務所「ジョン・マックアスラン&パートナーズ」。20世紀初頭のレンガ造りと、金属、コンクリート、ガラスの新しいデザインが一つになっている。
ミンツ氏は実業家、投資会社「O1プロパティ」の所有者、そして収集家である。芸術に目を向け始めたのは2001年。モスクワのロシア美術のディーラーの一人に、19~20世紀美術の仲間に加えられたのがきっかけ。「収集には多くの時間と知識を要する。読んで、見て、プロと話をしなければいけない」とミンツ氏。
ミンツ氏は壁を飾るために自分用として絵画を購入していたが、「自分の方向性を模索」するようになった。アレクサンドル・ベノワのグラフィック、コンセプチュアリストのイリヤ・カバコフからヴァレリー・コシュリャコフまでのさまざまな種類の現代美術家の作品など、現在でも熱狂的なファンの多い作品から始めた。
本人によると、本当に「芸術に夢中になった」のは、コンスタンチン・コローヴィン、ボリス・クストージエフ、ヴァレンチン・セローフ、ピョートル・コンチャロフスキーなどのロシア美術の印象主義運動を見てから。この運動は非常に珍しく、ロシアの巨匠にとっては、「筆ならし」にすぎなかった。創作の基盤とはならなかったし、印象主義固有の熱情さと詩的な直情さを得ることはなかった。したがって、ロシア印象派美術館という名称を、専門家社会は受け入れていない。多くの専門家は、大衆の関心を引くための画策と考えており、権威ある教授でサンクトペテルブルク市の「ロシア美術館」の主任研究員であるミハイル・ゲルマン氏の言葉を引き合いに出している。ゲルマン氏は自身の著書「印象主義者:運命、芸術、時代」の中で、印象主義を「パリっ子」と呼びながら、特徴を明記している。「これはフランス(フランスのみ!)絵画史の特定の一ページ。1860~1880年代、また1874~1886年の8件の展覧会、具体的な名前、運命、できごと、問題、そして最後に多かれ少なかれ安定したグループ、時に芸術家組織だったグループの存在」と。
ゆえにロシア印象派美術館は私立なのだ。はかりごとを可能にするために。
地階に展示されているミンツ氏のコレクションは控えめである。ロンドンのオークションで高額予想されるロシアの真の傑作はないし、そもそも当時のロシアの芸術家の印象主義的作品は各美術館に所蔵済みである。ミンツ氏自身も、ロシアNOWが取材した関係筋によれば、50万ドル≒5500万円(ボリス・クストジエフの「池のある園」の価格)以上の高額な作品を取得したことはないという。
それでも、このロシア印象派美術館には、ロシアの一流画家の目を楽しませてくれるスケッチを中心とした中小さまざまな作品がたくさんある。例えば、肖像画で有名なクストージエフとしては珍しい「ヴェネツィア」、トレチャコフ美術館所蔵のオリガ・トルブニコワ夫人の肖像のスケッチであるセローフの穏やかな「窓」、コンチャロフスキーの「ディナモ・スケート場」など。ロシア印象派美術館は、有名なイリヤ・レーピンの弟子で、人生の大半をパリとニューヨークで過ごしたユダヤ人画家アルノリド・ラホフスキーの回顧展からスタートを切っている。ラホフスキーは、「過小評価されている」または「不当に忘れ去られている」と言われる芸術家の一人である。ロシア印象派美術館は、このような芸術家の展覧会シリーズが、少なくとも新鮮な印象を、訪れる人に与えることを約束している。
所在地:
15-11 Leningradskii Proepect, Moscow, Russia
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