「フェドスキノ細密画」220周年

セルゲイ・ミヘエフ撮影/ロシスカヤ・ガゼタ
​ 「フェドスキノ細密画」の歴史は、ロシアの細密画の歴史そのものである。

 漆塗りのタバコ入れ、小箱、メガネ・ケースの絵からは、様式、物語、顧客の希望の変化を読み取ることができる。だが物語が伝統のバリエーションやモチーフの広がりでおもしろくなっている一方で、漆塗り細密画の技術は最大限に保守的だ。昔と変わらず、100年保証のある本物のフェドスキノ細密画でも、それは同じである。この「生活のささいな」ニーズに応える「日常の需要」品は、ほぼ永久の贈りものであった。

 記憶の「保持体」は品物だけでなく、制作・絵付け技術自体もそうである。そしてここには独自の物語がある。一見すると、普通の借用技術の歴史のようだ。ロシア人は漆塗りの秘密をブラウンシュヴァイクのドイツ人職人から借用した。商人のコロボフは1795年に開設したモスクワ郊外のダニルコヴォ(フェドスキノ)村の自分の工場に、有名なヨハン・シュトブヴァッサー工場の技術を導入。コロボフの工場は軍帽用の漆塗りのひさしを生産していたため、軍需によって成長した。

セルゲイ・ミヘエフ撮影/ロシスカヤ・ガゼタ

時代を超えた美と技への情熱

 だがコロボフの娘婿ピョートル・ルクチンは芸術品を重視。細密画は西ヨーロッパの絵画のように油で描かれるようになり、職人向けの美術学校も開校した。制作用の原品を、ルクチン自身が選定した。ルクチンの息子アレクサンドルの時代に、フェドスキノの作品は世界的に知られるようになり、国のブランドとなっていった。ロシアの産業史の古典的なサクセス・ストーリーだが、原動力となったのは芸術である。

 アレクサンドル・ルクチンの息子ニコライ死去後の1904年、工場は閉鎖され、10人の職人が協同組合として結束することを決断。そして1910年には銀行融資を獲得し、活動を継続。ロシア革命と内戦の混乱で細密画どころではなかった1923年、フェドスキノの関係者は全国見本市に作品を出品。その後国際見本市に送られた。1931年、フェドスキノのベテラン職人の求めに応じて、小箱の制作と絵付けを教える専門学校が開校した。職人たちの仕事への愛を示す驚きの歴史である。

 フェドスキノ細密画の伝統は今日でも、独立した職人、民族工芸高等学院フェドスキノ分校の学生らによって引き継がれている。

セルゲイ・ミヘエフ撮影/ロシスカヤ・ガゼタ

 

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