スターリン時代、「国民の敵」の息子として刑務所と収容所の生活を経験した、歴史家で社会・政治評論家のアントン・アントノフ=オフセエンコ氏(1920年2月23日-2013年7月9日)が中心となって、2001年、グラグ史博物館をオープンさせた。この時までにすでに、ロシアを含む旧ソ連圏には、弾圧の記憶を残すための機関が多く開設されていたが、これほど体系的かつ包括的に恐怖政治の現象を紹介する公のスペースは存在していなかった。これこそが、十分なスペース、資金を欠いていた博物館の課題であった。一般公開された2004年には、課題遂行に不足を補う必要のあることが明らかだった。博物館の移転案をモスクワ市は支持。移転までに長きを要したが、その分、立派なものができた。
市中心部に近い第1サモチョカ横丁に位置する、20世紀初頭の4階建ての住居建造物は、徹底的に改築された。「新しい建物に移転し、小さなミュージアムから国際レベルの大きな博物館へと生まれ変わった。展示スペースは9倍の広さとなり、十分な保管場所もあらわれ、調査活動も可能になった。ここには社会・ボランティアセンターがすでにあり、近い将来、書店と図書館もオープンする」とロマン・ロマノフ館長は話した。
リニューアル・オープンしたのは、「政治弾圧犠牲者追悼日」の10月30日。ロシアの博物館および公文書館25館の協力を受け、同時に始まった企画展は、1年間続く。世界中で知られるようになったグラグ(GULAG)という略語は、正式には矯正労働収容所・奉仕労働収容所総局を意味する。数百万人の収容者の運命を支配したこの部門名が、後に恐怖の代名詞、そして象徴的な言葉となったのは驚きではない。
博物館のテーマは重いが、悲観的、抑圧的な雰囲気が訪問者を襲うことはない。国内各地から運ばれた、大きなかんぬきのついた刑務所の扉は、全体的なインスタレーションに組み込まれており、威圧的な封鎖物というよりは、恐怖の比喩物になっている。収容所の関連品はショーケースに収められ、まるでアンティーク・ジュエリーのようだ。弾圧を生き延びた人のインタビューを記録した動画は、詳細が語られるまでは、一見すると平凡である。展示ホールには、子どもの注意を引くようなインタラクティブな要素もある。このような展示の仕方は、決して軽薄ではない。深く考えられた、博物館のコンセプトの一部である。ここには独自の論理がある。観客の感情の強さを図るのではなく、徐々に知ってもらい、考えてもらい、判断してもらうと。
長編小説「収容所群島」の著者として知られるノーベル文学賞作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンのナタリヤ・ソルジェニーツィナ夫人は、オープンの式典で、こう述べた。「リニューアル・オープンは、市という規模をはるかに超えたできごと。たとえ首都であっても。これは国家的なできごと。やがてモスクワでは、弾圧犠牲者を追悼するモニュメントも建設される。こうして、過去をすべてつぐなったと考えるべきなのか。それとも、旗艦の軍旗の掲揚、国全体が従うべき手本と評価すべきなのか」
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