ロシアの学生服史200年

タス通信/セルゲイ・ボブィリョフ
 新学年が9月に始まる。ロシアの学生服は200年間でどう変わってきたのか。服飾史学者のナタリヤ・コズロワ氏にロシアNOWが聞いた。

軍服風の学生服

 ウラジーミル大公は988年のルーシの洗礼の後、初めての教会付属小学校を開校した。だが教区付属小学校が広く普及したのは14世紀。「学校」という言葉が登場したのもこの時だ。

 19世紀初めまで、学生服は存在していなかった。学生服の登場は皇帝アレクサンドル1世と関係している。アレクサンドル1世はロシアに高度専門官僚制度を創設し、学校でその教育を始めたいと考えていた。1811年10月19日、後に有名になるツァルスコエ・セロー貴族学校(リツェイ)が開校。初期の生徒である10~14歳の男子の制服は、銀色の刺繍の入った赤い襟つきの青い胴着、白いタイツ、長ブーツと、軍服に似ていた。色が赤いだけの同じ制服を皇帝の子どもたちが着ていた。

 20年間制服は変わらなかったが、1834年、ニコライ1世がギムナジウムの生徒から高官までの国に関係するすべての者の制服を一新した。「官等表」にしたがい、ギムナジウムの生徒は軍服風の制服を着なければならなかった。金モールの装飾が施され、金ボタンのついた立て襟のフロックコートには、バックルつきのベルトがついている。授業が終わると、生徒はベルトをはずしていた。そうすることで制服が日常服に変わる。また、軍人のように、銀ボタンのついたダブル・ブレストの外套を着用していた。

 1862年以降は、ラッカーバイザーつきの制帽に、ラクダの毛で織られ、グレー・モールの縁のついた防寒用頭巾が加わった。これはスカーフのように巻きつくラシャのフードだった。ギムナジウムの生徒の長年の必需品だったのはランドセル。少年たちは制服を誇りに思い、休日を含め、朝から晩まで着用していた。

 

自由を求めて

 1860年代、厳格なフロックコートの代わりにあらわれたのが詰襟シャツ。ギムナジウムの校章の入ったバックルつきのベルトでとめる、軽くて動きやすいシャツである。詰襟シャツは学校だけでなく、軍でも定番の上着となった。夏、少年は淡色の綿の詰襟シャツを着用し、冬、銀のバックルつきの黒いベルトでとめるラシャの詰襟シャツを着用する。上着もワードローブとして残ったが、着用するのは祝日のみとなった。

 1860年、初の女子ギムナジウムがキエフで開校した。茶色いウールの高襟ドレス、上に黒いエプロンという制服が制作された。次の20年間でたくさんの女子ギムナジウムが開校し、どこでも生徒はこのようなドレスを着ていた。19世紀末に向けて、白いエプロン、レースの襟と袖口のつく礼服を生徒が受け取るようになった。特別な行事では、女子は白いケープと袖口飾りを着けていた。

 

ソ連時代になって

 1917年の10月革命で、制服は廃止された。ギムナジウムも廃校になり、服装の規定のない一般的な学校が残った。だが1922年にはピオネール団が結成され、ピオネールの制服が決められた。これは水兵を参考につくられたもので、19世紀末には皇族の子どもを含む、あらゆる子どもが着用していた。白色の上衣、暗色の下衣、ストライプのカラー。どのピオネール団員もこのような制服を着ていたが、ストライプのカラーの代わりに赤いタイをつけていた。

 困難な戦中、戦後の時期は、制服どころではなかった。制服があらわれたのは1948~1949年である。男子は軍服風のダブルカラー、胸あきの詰襟シャツを着ていた。バックルつきベルトや革製のツバのついた帽子によって、男子は兵士のように見えた。女子の制服は茶色のウールのワンピースと黒のエプロン。行事には白いエプロン、レースの襟と袖口飾りをつけていた。当時は、当然のことながら、この制服の不便さについて、誰も考えていなかった。ワンピースはひんぱんに洗濯しなければならず、代わりの2着目を買う人もいなかった。大変だったのはスカートのプリーツを一つ一つアイロンがけしなければならないことだった。当時は優れたプリーツの機械がなかった。この制服は、ニキータ・フルシチョフの「雪解け」時代まで続く。フルシチョフ政権は、制服と軍服が似ていてはいけないと考え、然るべき決定を採択。

 

制服の廃止

 1962年、軍服風の詰襟シャツに代わり、グレーのフランネルのジャケットが登場した。女子のワンピースはそのままだった。工場の廃棄処分になった布から縫製されていたため、質は悪く、制服はすぐに着れなくなった。また、ソ連の子どもの大半は2着目を持っておらず、制服は文字通り、穴があくまで着用された。

 1973年、男子はウール混紡の青いスーツに身を包んだ。制服のジャケットとズボンは、当時流行していた胸ポケットとショルダーストラップつきのデニムスーツに似ており、袖には校章がついていた。

 1983年、上級生の制服は、それなりに上質なウールとラブサンの混紡の青いジャケットになった。女子の制服はパッチポケットつきのジャケット、ベスト、台形スカートの青い3点セットになった。女子の下級生は白い​​ブラウスとサラファン(ジャンパースカート)を着用した。

 ソ連崩壊後の1994年春、ロシアでは制服の着用が義務ではなくなった。一部の学校は、チェック柄のスカートにジャケットというイギリス風の独自の制服を導入した。今日、制服は各学校の内部の問題であり、着用するか否かは学校の評議会に相談して決められる。