ソ連時代のモスクワ国際映画祭

第三回モスクワ国際映画祭の参加者=ミハイル・オゼルスキイ撮影/ロシア通信

第三回モスクワ国際映画祭の参加者=ミハイル・オゼルスキイ撮影/ロシア通信

第37回「モスクワ国際映画祭」が19日、開幕した。映画祭の歴史や、レッドカーペットを飾った世界のスターについてふりかえる。

独裁者たちの思惑が生んだ 

 モスクワ国際映画祭の歴史は世界で2番目に長いと考えることができる。国際的な映画競争が、独裁者の頭の産物だったというのはおもしろい。最初のベネチア映画祭を考案したのはムッソリーニ。ファシズムの優位性を証明したがった。次の映画祭を考案したのがスターリン。社会主義の優位性を証明したがった。

 とはいえスターリンは1935年の第1回開催直後、映画祭を閉鎖した。第二次世界大戦が差し迫り、映画どころではなくなっていたのだ。モスクワの映画館「ウダルニク」で行われた第1回は大盛況だった。審査員長はセルゲイ・エイゼンシュテイン、受賞者にはチャールズ・ロートン、ウォルト・ディズニーがいた。この時に広く知られ、ソ連人のお気に入りになったのが、喜劇映画「ペエテルの歓び」に出演した女優のフランチェスカ・ガール。

 

映画の代理戦争 

 長き中断期間を経て1959年、ソ連のエカチェリーナ・フルツェワ文化相の提唱で、国際映画祭がモスクワで開催された。これもまた第1回とされた。

 モスクワ国際映画祭は当初、姉妹祭のチェコスロバキアのカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭と交互で、2年に一回開催されていた。そして、非常に成功した。今となっては想像するのも難しいが、ルジニキ・スタジアムやソ連最高会議の巨大なホールから郊外の遠く離れた映画館までと、モスクワ中で作品の上映が行われていた。

 販売されたのはチケットではなく、パス。しかも各上映が「社会主義」映画と「資本主義」映画の2本立てになっていた。1本目は「おまけ」ととらえられていたが、芸術性においてしばしば2本目よりも優れていた。とはいえ、”敵の陣地”からも一流映画が出品されていた。ビリー・ワイルダー監督の「お熱いのがお好き」からフェデリコ・フェリーニ監督の革新的な「8 1/2」まで、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」や新藤兼人監督を世界に知らしめた「裸の島」から当時あまり知られていなかったクシシュトフ・キェシロフスキ監督の「アマチュア」まで。受賞者には、黒澤明監督やアンジェイ・ワイダ監督から、フェデリコ・フェリーニ監督やスタンリー・クレイマー監督までの、世界の巨匠が名を連ねる。

 

鉄のカーテンの小窓 

 モスクワ国際映画祭は小窓のようなものだった。ソ連人は小窓から頑丈に隔てられている大きな世界を見て、世界はソ連人について何かを知ることができた。そのため、開催期間の2週間、モスクワには国内各地から映画ファンが押し寄せ、パスを購入しようと我先にと行列をつくった。多くの人は1日8作品まで鑑賞しようと気合いを入れ、上映中に居眠りすることがあってもふんばって、ラクダのごとく次の開催までの2年分の印象をためこもうとしていた。

 スターは真っ先にモスクワ入りし、映画スタジオ「モスフィルム」で行われる歓迎会を興味深そうに訪問。歓迎会では、有名なセルゲイ・ゲラシモフ監督やセルゲイ・ボンダルチュク監督がペリメニ(ロシアの水餃子)を来客にふるまっていた。スターはモスクワ川で遊覧船に乗り、日帰りでサンクトペテルブルクにも行った。彼らはモスクワ市民の映画への関心の高さにいつも驚いていた。これ以外にその映画を見るチャンスなどないことが、スターには想像できなかった。モスクワ国際映画祭の記録には、トップスターの珍事が残されている。例えば、エリザベス・テイラーとジーナ・ロロブリジーダは、クレムリンの歓迎会に、まったく同じドレスで登場。最初に気づいたロロブリジーダは、「ハーイ、妹ちゃん!」とホールの端からエリザベス・テイラーに声をかけた。そして2人は互いに見あって大笑いした。

 

審査もフェリーニ風 

 映画祭の雰囲気は確かに、特別だった。お祝いムードで、わきあいあいとしていた。参加者は、ジュリエッタ・マシーナがソ連映画人同盟の建物に入る時、困惑した笑顔を見せたことを覚えている。マシーナはまわりに笑顔を見せ、笑顔返しを待っていたが、誰もが目をそらしたのである。当時、外国のスターとの非公式なコミュニケーションはあまりにもまれで不慣れなことであり、また危険ですらあったのだ。

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禁じられた映画

 映画史に残ったスキャンダルと言えば、フェデリコ・フェリーニ監督の映画「8 1/2」にまつわるもの。グレゴリー・チュフライ率いる審査員団は大賞をこの映画にしようとしたが、この映画の上映中に居眠りをしていたニキータ・フルシチョフ第1書記は激怒。チュフライは呼び出され、ソ連の映画「バルエフをよろしく」に大賞を与えるよう求められた。だがチュフライ監督は大胆不敵に主張を固持した。「8 1/2」が映画界で新たな時代を拓いた一方で、「バルエフをよろしく」については皆、次の日には忘れていた。

 映画祭の実行委員長を、セルゲイ・ゲラシモフ、セルゲイ・ボンダルチュク、セルゲイ・ソロビヨフなどの巨匠が務めていた。現在その役を務めるのはニキータ・ミハルコフ。その提唱で、コンスタンチン・スタニスラフスキー賞「信じている!」が創設された。この賞はすでに、ジャック・ニコルソン、メリル・ストリープ、ファニー・アルダン、ヘレン・ミレンなど、世界の映画界の大スターに授与されている。

 

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