大祖国戦争の33の事実

アルテョム・コロタエフ/タス通信撮影

アルテョム・コロタエフ/タス通信撮影

1941年6月22日は、ナチス・ドイツがソ連に進攻した日。この巨大な事件には隠れた事実がたくさんある。ソ連のレジェンド、ジューコフ元帥は、コカ・コーラが大好物だった。1943年1月、包囲下のレニングラードの食糧備蓄を脅かすネズミを退治するため、ヤロスラブリから貨車4両分の猫が運ばれた――。その他の興味深い事実を特集する。

1. 大祖国戦争(独ソ戦)中、レーニンの遺体をチュメニに退避させた。

2. クレムリンの教会の円屋根は、敵の戦闘機に気づかれないよう、ベニヤ板の装飾と黒い塗料でカムフラージュされた。

3. 1941年の攻撃の際、モスクワのクレムリンは8回爆撃されたが、爆弾の一部は爆発せず、残りはわずかな損害しかもたらさなかった。

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4. ソ連のパイロット、イヴァーン・コジェドゥーブは、自分の戦闘機をナチスドイツ軍の戦闘機と間違えて攻撃してきたアメリカのP-51「マスタング」2機を、撃ち落とさなければならなくなった。

5. ヒトラーは、前線から戦況報告を行っていたアナウンサーのユーリ・レヴィタンの首に、25万マルクの懸賞金をかけた。

6. 第46タマン連隊は18~20歳の若い女子から構成され、U-2機で飛行していた。ナチスドイツ兵は彼女たちを「夜の魔女」と呼んだ。連隊のうちの23人は、ソ連の英雄になった。

7. 1945年6月24日のモスクワのパレードでは、犬の工兵の1匹がスターリンの外套にくるまれて運ばれた。戦争中、この犬は7500個以上の地雷を見つけた。勝利の前に負傷し、自分で歩くことができなかった。

8. 公式には、ナチスドイツとソ連の戦争が続いたのは1955年1月25日まで。ナチスドイツが降伏文書に署名を行ったのは1945年5月8日で、発効したのは翌日の5月9日である。

9. ソ連のレジェンド、ジューコフ元帥は、コカ・コーラが好物だった。トルーマン大統領直々の要請で、元帥の同僚に気づかれぬよう、色のついていないコカ・コーラ50箱が特別に製造された。

10. 赤軍のアストラハン部隊の一隊は、馬が不足していたため、大砲の牽引にラクダを使用した。そのほとんどは死亡したが、一部はベルリンに到達することができた。

11. 戦争によるソ連の損害は戦前の価格で2兆5000億ルーブル(約4720億米ドル)強。

12. ベルリンの戦いは史上最大の戦いとしてギネスブックにのった。参加したのは約350万人、戦車7750両、航空機1万1000機。

13. 勝利旗は中央軍事博物館に聖なる記念物として収められている。旗のサテンが月日の流れとともに脆くなっているため、垂直な状態で保管することは禁じられている。

14. 開戦当時、ソ連は戦車不足であったため、緊急時には一般的なトラクターを戦車に装備がえしていた。

15. 前線では異なる時期に、60万人から100万人の女性兵士が戦っており、うち8万人は将校だった。

16. レニングラード包囲戦の際、1日あたりのパンの配給量は労働者でわずか250グラム、事務員、被扶養者および子どもはその半分だった。

17. 戦争中、ソ連では1710市、7万村、3万2000工場が破壊され、9万8000ヶ所の集団農場が略奪された。

18. スターリンが開戦についてジューコフから聞いたのは、1941年6月22日午前4時ごろ。国民には正午、モロトフ・ソ連外務人民委員がラジオで伝えた。

19. 戦争の初日、ソ連の軍用機1200機が破壊され、そのほとんどが離陸さえ間に合わなかった。

20. 包囲戦の際、レニングラードには砲弾15万発が打ちこまれ、焼夷弾および爆弾10万7000発以上が投下された。

21. 1943年1月、食糧備蓄を脅かすネズミの大群を退治するため、レニングラードにヤロスラブリから貨車4両分の猫が運ばれた。

22. ナチスドイツ統帥部は、ソ連の国境警備兵の抵抗を30分で制圧する計画を立てた。しかしながら、ブレスト要塞の国境警備兵は1ヶ月以上戦った。

23. 第4戦車旅団のドミトリー・ラヴリエンコ中尉は、戦車のエースと呼ばれている。1941年9月から11月の28戦で、中尉は敵の戦車52両を破壊した。自身は1941年11月にモスクワ郊外で死亡した。

24. 敵の背面では、兵士100万人以上からなる、パルチザン部隊および地下部隊6200隊以上が活動した。

25. 15歳のサーシャ・チェカリンとリョーニャ・ゴリコフ、14歳のヴァーリャ・コチク、マラト・カゼイ、ジーナ・ポルトノワの、学校の生徒5人が、独ソ戦のソ連邦英雄の称号を受けた。

26. 戦中の戦闘に参加したのは計3447万6700人のソ連の軍人。

27. ラヴォチキンの軍用機の一部部品(けたと小骨)は、国内の深刻なアルミ不足により、デルタ合板でつくられていた。スターリン自身が材料の品質を確認した。

28. 空中戦の大半は最大4500メートル上空という高さで行われていた。

29. 1941年11月5日までに、モスクワ市民は8000万以上ルーブルを国防基金に寄付した。約8キロの金、370キロの銀、1410グラムのプラチナは、敵との戦いに重みある貢献をした。

30. 三角形の軍事郵便があらわれた。手紙のやり取りが非常に多く、郵便局に封筒や切手が足りなくなったため。1941年7月12日、軍人の個人的な手紙やはがきの郵送を無料にすることが許された。

31. 軍隊への入隊志願のうち、50%が女性からの申請であった。

32. 1947年から18年間、戦勝記念日は営業日であった。市町村復興に国を挙げて取り組んでいたため、という説と、スターリンが5月9日を戦争の犠牲者を追悼する日で、祝うことなど何もないと考えていたため、という説がある。

33. 約70万人の軍医のうち、女性は42%で、外科医の中では43.4%だった。

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