「若き才能と出会えたら」

EPA撮影

EPA撮影

 世界的な音楽コンクール「P.I.チャイコフスキー国際コンクール」が15日、モスクワ音楽院大ホールで開幕した。今大会で何を期待できるのか。コンクール組織委員会の共同委員長である世界的指揮者ワレリー・ゲルギエフ氏にインタビューを行った。

-今年のチャイコフスキー国際コンクールは初めて、第1ラウンドではなく、予備的な生演奏の試聴会から始まりました。この新しい取り組みはなぜ必要だったのでしょうか。 

 生演奏のみが音楽家についての鮮やかな印象を与えることができるので、そのように決定しました。ピアノ部門の選抜の結果からすでに、コンクールのレベルが非常に高いことがわかります。審査員用には、「イエス・ノー」投票システムという規定を設けました。4票のうち少なくとも2票獲得した出場者が、第1ラウンドに進みます。ピアノ部門の参加者はつわものぞろいだったので、予定の30人ではなく、36人のピアニストが第1ラウンドに進みました。

 

-前回の大会の主な成果は、受賞者のツアーでした。この時初めて、コンサートのステージで演奏できる音楽家を見つけるという具体的な目標が設定されたわけですね。その結果はいかがでしたか。

 ほぼすべての決勝進出者が私とともに、サンクトペテルブルク、モスクワ、その他のロシアの街だけでなく、海外でも演奏しました。今回も同様の計画を立てています。優勝者は当然のことながら、他の受賞者よりも多くのチャンスを手にすることになります。ですが、これは他の人への関心がなくなるという意味ではありません。 

 

-前回の優勝者で、世界中の名門コンサート・ホールに同行したダニール・トリフォノフさんについてですが、現在の実績をどのように評価しますか。

 トリフォノフはコンテストの優勝者にもたらされるであろうほぼすべてのものを得ました。ですがポイントはそこではなく、優勝者としてのみならず、音楽家として、すぐにさまざまな国の人々の関心の的になったということです。初っ端から反響があり、私だけでなく、オーケストラも彼との共演を望みました。トリフォノフはマリインスキー劇場管弦楽団、ロンドン交響楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と共演しました。これは世界的な快挙であり、大成功でした。 

 

-ピアノ部門の出場者の3分の2は、ロシアのピアノ学校の生徒です。世界とロシアの政治情勢から、今大会と2011年の大会の状況に変化はあったのでしょうか。

 コンクール出場を強いることはありません。チャイコフスキー国際コンクールが権威ある大会だという定評が世界で変わっていないことを望みますし、前大会の優勝者が世界中のたくさんのコンサートやフェスティバルで見事な演奏を行ったことで、さらなる高みに到達できたと思います。出場国について話すのであれば、ピアノ部門ではヨーロッパの参加者も、アジアの参加者も、アメリカの参加者も、第1ラウンドへ進出しています。

 

-コンクールには新しいマネージャとして、ドイツ人のペーター・グローテ氏が加わりました。この起用はコンクールの運営のために重要だったのでしょうか、それとも国際的な音楽社会でのイメージのために重要だったのでしょうか。

 コンクールの評判は我々ひとりひとりの仕事によるところが大きいです。グローテ氏は今大会の芸術マネージャで、その活動は組織委員会の活動と全体的に密接に関連しています。輸送、スケジュール、施設を管理し、審査員、オーケストラ、役員との関係を調整する専門家の大集団が、当方にはいます。これは大掛かりな仕事ですから、協力しながら行います。

 

-前大会の技術的な躍進すなわち質の高いインターネット中継は世界中で大きな反響があり、フランスの「メディシス」チャンネルが今大会のインターネット中継を請け負うことになりました。メディシスはどのようにして選ばれたのでしょうか。

 前回は多くの点でとてもうまくいきました。ですがメディシスはプロで、ヨーロッパではかなり前から活躍していますし、今やアメリカでも同様です。半年前にニューヨークのカーネギー・ホールでマリインスキー劇場管弦楽団の公演が行われた時、撮影してもらいました。ヴェルビエでもアヌシーでも提携しています。メディシスは実績が豊富で、こちらにも実績があります。マリインスキー劇場には独自のインターネット放映システムがありますから。マリインスキーの専門家は以前からメディシスと活動しており、今はチャイコフスキー国際コンクールの組織委員会とも協力しているのです。

 

-今大会に期待することは何ですか。グランプリから生まれる新しいアーティストですか。

 若き天才集団との創作的かつ人間的な出会いを、このコンクールでとても期待しています。それがその先何年分もの発見であることを。個人的にこれは特別な感覚です。私がまだ若い指揮者だった1988年、ロンドンの観客に若きエフゲニー・キーシンとヴァジム・レーピンを紹介しました。ほぼ30年が経過しましたが、あの時の奇跡の感動は今でも残っています。自分にとって欠かせず、興味深く、魅力的なこととは、新たな若き才能を発見することなのです。

 

*記事全文(露語)