イリヤ・ピタエフ/ロシア通信撮影
「Karaoker(カラオケをする人)たちは僕にとって、2番目の家族」と話すのは、2006年のカラオケ世界選手権で数百人の参加者の中から5位にのぼりつめたカラオケのベテラン、ミハイル・ハルデイさん。ハルデイさんはこれまでに、あらゆるイベントに参加しており、審査員として招待されることも増えた。「ステージ上で歌う人は、皆の前でオープンになるから、これが人々の距離を近づけるんだ。絆の強い家族がたくさんここで生まれたのはそのため。ここではどんな時でも助けに来てくれるような、真の友達を見つけられる」
選手権の雰囲気は確かに、とても友好的で温かい。一般的に、このようなイベントには、ステージつきのカフェが借りられる。ステージにあがるのはさまざまなレベルの人だ。調子や音程を外している人もいるが、歌がうまく、時にジャズ調で歌うような優れた愛好家レベルの歌い手もおり、また演出がこっていたりして、見る人を飽きさせないおもしろい舞台になっている。賞品はかなり豪華な時もある。5万ルーブル(約12万円)のカラオケ機器券や、トルコ旅行など。
「大きな大会に出場するとなれば、出場者は自分の歌声や芸術性に磨きをかけようとする。私たちは出場者がアーティストになれるような手助けをしているし、教師までも用意している」と話すのは、世界選手権の予選会場であるモスクワ南部の「カラメリ」クラブの共同所有者、ヴァレリーさん。
ロシア語でカラオケを
2006年に大会が開催された時は、まだ発展を始めたばかりで、モスクワから100人ほどが参加しただけであったが、2014年の選手権にはロシア10地域以上から多くの参加があり、今日は20地域以上に増えている。
ロシア・カラオケ選手権の統括プロデューサーであるミハイル・ベビング氏は、すでに2016年「アジア選手権」の計画を立て始めている。中国人が大会に参加してロシア語で歌をうたうことが現実的なほど、ロシア語は中国でそれなりに人気があるのだという。「ロシア文化、民俗芸術の振興は私たちの優先事項。今年、出場者には英語のレパートリーに固執することなく、ロシア語で歌ってほしいと思っている」とベビング氏。
ベビング氏が選手権のプロデュースと主催を始めたのは、ロシアでプロのカラオケ運動が生まれたばかりの2006年。2016年にはプロジェクトに社会的意義が加わるという。児童養護施設と障がい者のための慈善大会が行われる。
ロシアにおけるカラオケの歴史
カラオケ・クラブが誕生したのは、ソ連が崩壊してまもなく。当初は数ヶ所あるにすぎなかったが、現在ではその数は数えきれない。この業界が20年ほどで繁栄したことは驚きではない。ロシアは独自の晩餐会文化で知られる、歌う国であるためだ。ロシアのカラオケ・クラブには通常、誕生日や記念日の祝い、歌による愛の告白などのために訪れる。
ロシアのクラブの特徴は、大きなホールで、マイクがテーブルからテーブルへと渡されて行くことである。他のテーブルの人と一緒にカラオケをしたくない場合は、VIPサービスを探し、通常よりも高額な価格を支払わなければならない。
「小部屋型のカラオケは根付かなかった。我々に必要なのはライブ形式!民俗声楽の時代がすぎ、ショー・ビジネスの時代が訪れた。カラオケは完全にこのニッチを埋めた」と、クラブカラオケ発展促進非営利パートナーシップ「国家カラオケ連盟」のヴャチェスラフ・ロプノフ理事は話す。ロシア人は創造性に富んでおり、自己表現を夢見るのだという。そのため、カラオケが娯楽ではなく、新たなレベルに進んだことは驚きではないのだ。
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