ロマノフ家殺害の事件簿

写真提供:タス通信

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ロシア最後の皇帝ニコライ2世の一家は1918年に殺害された。だが本格的な捜査が行われたのは最近である。1991年から2011年にかけてこの事件の捜査を行った、ロシア捜査委員会の上級捜査官・犯罪学者のウラジミール・ソロヴィヨフ氏が、何十年も前に発生した殺人事件の捜査の特殊性、現代の遺伝学、有名な音楽家ムスティスラフ・ロストロポーヴィチや政治家ボリス・ネムツォフ氏からの支援などについて、ロシアNOWに語った。

 ロマノフ一家殺害事件の捜査が可能になったのは、ほぼ100年後である。現代ロシアの法律に時効がないためだと、ソロヴィヨフ氏は説明する。ソ連当局は当時、この事件に関心を持っていなかった。

 何よりも、エカテリンブルク近郊で発見された遺骨を一家のものと証明することが難しかった。「伝説の紐解きが犯罪学者の仕事。通常の職務の範囲を越えて、非常に興味深い作業に取り組むことができるようになった」とソロヴィヨフ氏は話す。

 

証拠物件を探せ

 初期捜査は20世紀初め、白衛兵によって行われた。捜査官はナミョトキン、セルゲエフ、ソコロフで、ソコロフは捜査の鍵となる重要な証拠物件を大量に押収した。「世界に散在する『ソコロフ事件簿』を探すことにした。軍事検察庁には4巻しか保存されておらず、その後世界中を探しまわった」とソロヴィヨフ氏。ソコロフは海外に亡命する際、資料の一部を国外に持ち出した。

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定まらない評価

 ソロヴィヨフ氏はまず、イギリスの公文書館に赴く。ロシアから訪れた捜査官の手助けをしたのはマイケル・オブ・ケント王子。だが大発見にはいたらなかった。その後、ソコロフの最重要資料がオルロフ伯爵に渡っていたことが判明した。オルロフ伯爵の子孫はロンドンの競売会社サザビーズで捜査資料を競売にかけ、100万ドルで落札されていた。資料を落札し、ロマノフ一家の他の文書と引き換えにロシアに譲渡したのは、リヒテンシュタインのハンス・アダム2世。

ニコライ2世のDNA鑑定

ニコライ2世のDNA鑑定は、当初、皇太子時代の訪日中に刀で切りつけられ負傷した際に(大津事件)着衣に付着した血液(通称 ”大津事件血染めのハンカチ” 大津市歴史博物館所蔵)などを元に行なわれた。

1998年に、ロシアの調査委員会によってこの付着した血液が検査されたが、そこからは血液型の特定しかできなかった。

 

 ソロヴィヨフ氏の捜査を、多くの著名人が支援した。当時、ロマノフ一家の捜査を担当する政府委員会を率いていたネムツォフは、捜査に参加した法医学の医師に、遺伝学実験室に必要な設備を提供した。ロストロポーヴィチは必要な鑑定を行うための資金を集め、ニコライ2世の重要な遺品である血液の付着した着衣の一部を日本で購入するための手助けをした。ニコライ2世が1891年に襲撃された大津市の博物館に着衣が保管されており、アナトリー・サプチャク・サンクトペテルブルク元市長がそれを偶然見つけた。たくさんの努力が払われたものの、着衣の状態は捜査に不向きで、鑑定にはいたらなかった。

 

ロマノフ家のDNA鑑定

 遺伝学の専門家は当初、デンマークとイギリスの王室関係者の血液サンプルを使いながら分析を行った。「ミトコンドリアDNAで鑑定を行ったため、ロマノフ家の女系の親戚を必要としていた。皇后アレクサンドラ・フョードロヴナの母親はイギリスのヴィクトリア女王の娘。ヴィクトリア女王の子孫がイギリス​​女王の夫のフィリップ王子であるため、我々は運が良かった」とソロヴィヨフ氏。

 だが血液を比較する必要があった。2007年を過ぎてようやく、専門家はDNA分析に必要なニコライ2世の血液サンプルを入手できた。手元にずっと物件があったことも判明した。大津事件後に血痕の残っていたニコライ2世のシャツが、エルミタージュ美術館に保管されていたのだ。最終鑑定に携わったのは、ロシア、アメリカ、オーストリアの複数の独立遺伝学者委員会。どこも同じ結論に達した。

 ソロヴィヨフ氏によると、ロマノフ一家殺害事件の捜査は、科学の発展に独自の貢献をしたという。「この事件のおかげで、まったく新しいアプローチが生まれた。世界中で現在行われている、死者のDNA判定に関連するどの作業も、ロマノフ一家殺害事件の捜査の過程で考案された方法に沿っている」