「夜、恋人の後を慕って」

1971年、ロンドンで第1回世界ジプシー会議が開催された。現在、この日は国際ロマ(ジプシー)・デーとなっている。4月8日はまた「ロシア文学の日」でもあるので、ロシアNOWは、ロシア文学におけるジプシーたちを振り返ってみることにした。なお、最近日本では、ジプシーは蔑称とみなされ、ロマに言い換えられる傾向にあるが、ジプシーにはロマ以外の民族も含まれることから、この言い換えが完全に定着しているわけではない。

 1971年4月8日にロンドンで開かれた世界ジプシー会議には、世界30ヶ国から代表が参加し、ジプシーは定住地を持たない単一民族と認められ、独自の旗と賛歌が定められた。 

 

流浪の民の歴史 

 とはいえ、ジプシーの真の歴史は今でも小数の人にしか知られていない。ロシアではようやく1990年に、エフィム・ドゥルツ、アレクセイ・ゲッスレル共著の『ジプシー』が出版され、そのなかで、この複雑な民についての真実が語られた。

 長い間、ヨーロッパでもロシアでも、ジプシーはエジプトの出身とされ、「ファラオの末裔」とみなされていた。それで英語では、「エジプシャン」の頭音が消えて「ジプシー Gypsy」 の名称が生まれたとの説があった。ロシアでも例えば、クプリーンのジプシーに関する短編小説に『ファラオの種族』(1911)というのがある。

 ところが、1844年にドイツの言語学者アウグスト・ポットが証明したところによると、ジプシーの故郷はインドであり、“出インド”の時期として最も可能性が高いのは、5世紀半ばだという。

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ジプシーたちの生活

 まさにこの出インドの時から、ジプシーの欧州における苦難に満ち満ちた道程が始まった。この流れ者に対する人々の態度は様々だった。ギリシャのように受け入れられたところもあったが、迫害されたり、抹殺されたりしたところもあった。

 スペインでは1633年にこんな法令が出された。「普通の服に着替え、自分の言語も名前も忘れない場合には」、死刑に処すべしというのだ。一方、イギリスのエリザベス1世が1562年に出した法令によると、ジプシーだけでなく、ジプシーのもとにたった一晩でも宿泊した者、ジプシー風の生活をする者も迫害された。

 

ロシア帝国のジプシー

 ロシア領内のジプシーが初めて言及されるのは、18世紀前半の女帝アンナの治世のことで、ジプシーたちから金銭が徴収されたという。その後の女帝エリザヴェータの時代には、ジプシーを首都サンクトペテルブルクおよびその周辺に入れることはまかりならぬとの勅令が出されている。

 とはいうものの、ロシアでのジプシーに対する迫害が最も厳しかった時期でさえ、それは欧州の峻烈さの比ではなかった。欧州にはこんな法律が出たことさえあったのだ。「路上でジプシーを見かけたら、縛り首にすべし」

 とにかく、全体として、ジプシーによる世界の流浪の歴史は困難をきわめ、魅力的な頁を含んでいたものの、多くの悲劇を生んだ。にもかかわらず、これは自分自身を守り抜くことのできた民族だった。

 

ロシア文学におけるジプシー

 ロシア文学は、ジプシー文化に負うところが多い。これは単に、ほとんどの古典的な作家がジプシーについて書いているからではない。そういうことなら、世界文学の名だたる大家たちがジプシーに関心を抱き、自作の主人公にもしている。ヴィクトル・ユーゴー『ノートルダム・ド・パリ』、プロスペル・メリメ『カルメン』などはその好例だ。

 肝心なのは、“ジプシー気質”がロシア文学の文字通り血肉に入り込んだことである。ロシアのヴォーリャ(自由)という言葉の意味は、ヨーロッパのそれとは根本的に違うところがある。これは、ロシアとジプシーの魂を近しいものにした。

写真提供:Photoxpress

 ロシアで、ジプシーに関する最初の天才的作品といえば、詩人アレクサンドル・プーシキンの長詩『ジプシー』だが、この作品が奇しくも、未来のロシア文学の倫理的基盤をも置くことになった。

 主人公アレーコがジプシーの恋人を殺してしまったとき、老ジプシーは彼にこう言う。

 「傲岸な人よ、我らから去れ!我らは野蛮で、法律は持たない。だが、我らは人を殺し、処刑することはない。血と呻きは我らには不要だ。殺人者とともに生きることは我らは望まない」

 ここからドストエフスキーの有名な「へりくだれ、傲慢な人よ!」まではわずか数歩だ。

 “革命児”マクシム・ゴーリキーの『マカール・チュードラ』もまた、老ジプシーの次のような自由に関する考察で始まる。「すると、お前は放浪しているのか?結構なことだ!いい運命を選んだってもんだ。そう来なくちゃな。歩いてあちこち眺めて、いい加減見飽きたら、横たわり、死ぬ――それだけのことさ!…」

 ロシアの詩や歌も一筋縄ではいかない。ジプシー気質を接木されなければ、アファナーシー・フェートも、アポロン・グリゴーリエフも、アレクサンドル・ブロークも、ニコライ・ザボロツキーも、あり得なかったろうから。

 ロシア人は一杯引っかけると、「わが篝火が霧の中に光る…」(ヤーコフ・ポクロンスキーの詩)を口ずさむ。有名なソ連映画『残酷なロマンス』(エリダール・リャザーノフ監督)は、アレクサンドル・オストロフスキーの戯曲『持参金のない娘』に基づくが、その歌「ジプシーの星の彼方で」は大いにヒットした。もっとも、この詩がキップリングの作であることを知る人は少ないが。

 ロシア人なら知らぬ者はない「ヴァーレンキ(フェルト製の防寒長靴)」は、独ソ戦の前線で最も人気のあった歌の一つだが、実は、サラトフのチャストゥシカ(ユーモラスなロシアの俗謡)によるジプシーの古謡だ。「厳寒のなか、恋しい彼のもとを裸足で訪れた…」

 ロシアのジプシー気質は、こんなところにまで行き着いたのだ!

 

*記事全文(露語)