写真提供:ナスレディエ・センター
コルチャギン氏と馬愛好家のモスクワの弁護士ユーリー・ルィバコフ氏が創設したトロイカ・センター「遺産」には、真の”アスリート”が飼われている。「公園で子供を乗せるなら、従順な馬を購入すべき。当センターが飼っているのは18頭のプロ。火花がほとばしる馬を選んでいる」とコルチャギン氏。
人生をトロイカに捧ぐ
センターはウラジーミル州に位置している。オルロフ・トロッター種のトロイカ用訓練が統合され、またトロイカ操作練習学校が開設されている。
ルィバコフ氏がすべての資金を負担しているが、今のところ、利益は出ていない。「我々の今の課題は、ロシア固有の旅客輸送の伝統を守ること」。ロシア・トロイカ選手権がいつか「フォーミュラ1」のようになり、政府の支援を受け、国民がようやく「トロイカはロシア最大のシンボルと呼ぶにふさわしい」と認識してくれることが、ルィバコフ氏の夢だ。
コルチャギン氏は馬に関わってほぼ30年。獣医専門学校からそれは始まった。「学生だったある日、選手権でトロイカが飛ぶ様子を目の当たりにし、背中に鳥肌がたった。そしてこれだけに携わっていくことを決意した。勉強しよう、と思った」。ヤロスラヴリ州からトロイカ名人のウラジーミル・フォミン氏の暮らすウラジミール州に行って学んだ。資金が限られていたため、ホテルの滞在、紅茶と乾パンのみに出費した。
ある時、自費でパリに行き、3講演を行わなくてはならなくなり、持っていた車を売却した。「どうってことないよ。お金なんて今日あっても明日はなくなってるもの。あの講演は必須だった」とコルチャギン氏。
ロシアのトロイカが登場したのは約200年前と考えるのが一般的だが、モスクワ競馬場博物館のエレーナ・ペテルソン館長は、少なくとも500年と考えている。
驚きのスピード
トロイカは世界唯一の多走法馬車である。中馬はトロット、副馬はギャロップ。このような組み合わせでは、どの馬も重要になってくると、コルチャギン氏。
「それぞれの馬がどこへ走っていくべきか知っている。ヨーロッパの4頭立てでは、馬をどこに置こうと変わらない。トロイカには個々のアプローチがあるため、私は何ヶ月もかけて、どこが走りやすいのか、おもしろいのかを、馬に説明している。馬が左利きのように左側に曲がる場合は、左に配置しなければならない。副馬は中馬の大きな助けとなり、中馬の動きを軽くする。トロイカが万能で、高速走行でも長時間走行でも役に立つのはこれが理由」。ロシアの乗馬家がどのように馬を操作しているかが海外ではまだ理解されていない、とコルチャギン氏。
ある時コルチャギン氏のもとを、ヨーロッパ人が研修に訪れた。「2週間うちにいて、馬のつなぎ方、曲芸走行を学んだ。その中にいた経験豊富な乗馬家のベルギー人が気に入ったから、ロシア選手権で一緒に走らないかと提案してみると、本人は大喜び。自分の副馬の手綱をつかんで、それを私に渡す、という課題を与えると、うなずいていた。ベルギー人は当日、アシスタントと一緒に私の後ろに座り、落ち着いていたが、実際に競技が始まると固まってしまい、私が手綱をとろうとしても、離さない。アシスタントに『手伝ってくれ』と叫んで、2人でようやく手綱をとることができた。結果は2位。ベルギー人が真っ青になりながら、『これは俺のせいだ』と落ち込んでいるから、なだめると、半泣きしながら『スタートで息を吸って、息をはいたのはゴールした時。びっくりした』と言った。こんなに速いと思ってなかったそうだ。外国人はロシアのトロイカの哲学を知らない。ただ3頭が並んで走っているだけだと思ってる。トロイカは鳥なんだ」
コルチャギン氏は現在、トロイカを使う映画のすべてに馬と出演している。フェスティバルや馬のイベントにひっぱりだこで、最近もフィンランドに行ったばかり。「フィンランドでロシア文化の日があり、他のアーティストと一緒に行ってきた。我々以上にロシア的なものはあるかな」
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