ロシアのシリアルキラーその1

判決を下したのはエカチェリーナ2世自身。予審判事はサルトィコワが38人の殺害で有罪者、26人の殺害で容疑者との結論を出した。

判決を下したのはエカチェリーナ2世自身。予審判事はサルトィコワが38人の殺害で有罪者、26人の殺害で容疑者との結論を出した。

ヨーロッパ諸国と同様、ロシアでも中世と近世には死刑や拷問があった。目的は罰と尋問。ただ殺害したかったから殺人を犯したというケースは少ない。ロシア史全般を見ても、20世紀半ばまでで、現代で言うところの「シリアルキラー(連続殺人犯)」は5人しか知られていない。

エカチェリーナ2世の判決

 ロシア最初の連続殺人犯は女性だった。統計上、女性のこのような犯罪者は男性より少ない。昔の大貴族の子孫であるダリヤ・サルトィコワ(通称サルトゥチハ)は、25歳の時まで信心深く、暴力に傾倒することはなかった。すべてを変えたのは夫の死。数ヶ月ほどたってから、サルトィコワは些細なことで女中に暴力をふるうようになった。暴力をふるう相手はほとんどが女性で、特に結婚を控えている女性には厳しくあたった。

 サルトィコワは相手を薪でなぐったり、髪の毛をつかんで壁に頭をぶつけたりし、生き残った者には食事を一切与えなかったり、裸にして寒い屋外に追い出したりしていた。

 殺人は約7年続いた。農民はサルトィコワについて21件の被害届を行っていたが、いかなる動きもなかった。サルトィコワは富豪だったため、政府とコネがあり、役人へは賄賂を支払っていた。被害を訴えた人は殺害されたり、流刑されたりした。1762年、2人の農民がエカチェリーナ2世に直接訴えることに成功。1人はサルトィコワに妻を殺害された夫で、もう1人は3人の妻を相次いで殺害された夫だった。

 判決を下したのはエカチェリーナ2世自身。予審判事はサルトィコワが38人の殺害で有罪者、26人の殺害で容疑者との結論を出した。刑事犯罪の死刑は当時廃止されていたため、サルトィコワには光の入らない地下刑務所への終身刑が言い渡された。モスクワの修道院の地下刑務所で11年過ごした後、刑の軽減により、格子窓付きの部屋に移った。窓からは住人が覗き込み、話しかけたりしていたが、サルトィコワは住人を罵ったり、つばをはいたりしていた。刑務所で33年過ごした後、サルトィコワは死亡した。

 現代の精神科医は、サルトィコワが精神病質の患者だったと考える。被害者のほとんどが若くて美しい女性だったため、潜在的な同性愛の兆候も指摘している。

 

「美女に死を」

 サルトィコワ以外に、帝政ロシアには連続殺人犯が2人いた。うち1人は強奪犯、もう1人は快楽犯だった可能性がある。「ツァルスコエ・セロの殺人犯」コンスタンチン・サゾノフは、有名なツァルスコエ・セロ貴族学校に勤務していた。当時、後の詩人アレクサンドル・プーシキンがこの学校で学んでいた。サゾノフは8~9件の強奪と、6~7件の殺害を犯し、逮捕された。

 ニコライ・ラドケヴィチは快楽犯である。若い時、年齢差のある年上の女性に誘われ、やがて捨てられ、梅毒をうつされた。この時、淫蕩な女性を世界から消すことを決心。1909年、サンクトペテルブルクで3人の娼婦を殺害し、淫蕩とは無関係なホテルの小間使いも「美女に死を」と叫びながら殺害しようとした。被害者には多数の刺し傷があった。ラドケヴィチは逮捕され、徒刑された。

 

ソ連最初の連続殺人犯

 1917年のロシア革命後に、たくさんの流血事件があったが、本当の連続殺人犯はこの中でも異様であった。1921年、モスクワに遺体の入った袋が置かれるようになった。遺体は膝の間に頭、足を胸に、腕を背中にしてぐるぐる巻きに小さく縛られていた。犯人は「包装屋」と呼ばれた。

 ある袋にオート麦の穀粒があったため、運送人と考えられた。別の袋の遺体はおしめで巻かれていたため、新生児が生まれたばかりの運送人と考えられた。2年以上捜査を続けた後、警察はようやくヴァシリー・コマロフの家を訪れ、箪笥の中で遺体を発見。コマロフは窓から逃げたが、翌日に逮捕された。

 コマロフは運送屋で、盗みをしながら市場で盗品を販売していた。市場で客を家に招待し、ウォッカを飲ませ、背後からハンマーで頭部を殴り、さらにロープで首を絞めていた。その後縛って袋に入れていた。コマロフによると、これに要する時間は30分。殺害後は一晩中、被害者の魂の安息を祈っていた。翌朝、仕事を始める前に、遺体を入れた袋を空き家や川に捨てたり、土に埋めたりしていた。

 コマロフの妻は最初は気づかなかったが、気づいても冷静だった。子供を連れて避難したり、夫とともに被害者のために祈ったり、遺体運びを手伝ったりしていた。

 コマロフは29人を殺害した罪を問われた。実況見分の際には、群衆に襲われそうになった。裁判には世間の注目が集まり、長編小説「巨匠とマルガリータ」の作者であるミハイル・ブルガーコフも傍聴した。

 コマロフは貪欲さによって殺人を犯していた。捜査によって、殺害が当時のレートで30ドルほどをもたらしていたことが明らかとなっている。

 コマロフと妻はソ連内務人民委員部の“執行人”ピョートル・マゴによって銃殺刑に処された。マゴは在任中、1万人以上に死刑を執行している。ロシア革命、内戦、スターリン時代の他の連続殺人が知られていないのは、これが理由かもしれない。血に餓えた人間の欲求を、戦争や粛清が合法的に満たしてくれたからだ。