重苦しい刑務所が明るく快適に

刑務所「クレストィ」は1892年、囚人自身によって建築された。=タス通信

刑務所「クレストィ」は1892年、囚人自身によって建築された。=タス通信

サンクトペテルブルクの有名な刑務所「クレストィ(十字)」が、新たな場所に移転し、世界最大の刑務所になる。十字型をした歴史的な建物はどうなるのか。なぜこの刑務所は有名なのだろうか。

 刑務所「クレストィ」は2016年初め、サンクトペテルブルク南東33キロメートルに位置するコルピノ市に移転する。4000人を収容できる新しい建物は、現在建設中。

 ヨーロッパだけでなく、世界でもっとも大きな刑務所になる予定。これは完全なインフラが整備された“コンパクト・シティ”。住居棟、宗教施設、スポーツ施設、病院、工場、訪問者用のホテルまである。

 

世界最高の刑務所

 「古い建物が市の中心部に位置しているのが問題。ロシアW杯の前に市役所が移転を要請してきた」と、ロシア連邦刑執行庁のゲンナジー・コルニエンコ長官が述べた。非公式な新刑務所の名称は「クレストィ2」。古い建物と同様、受刑者を監視しやすい十字型になる。

 「クレストィ2」には受刑者専用エレベータが設置される予定で、これはヨーロッパ初。外に出ることなく、すべての建物に移動可能。新しい技術ソリューションとしては、監視塔のないことがあげられる。「監視システムは完全に電子化されている」とコルニエンコ長官。

「クレストィ2」=マリナ・スタロドゥブツェヴァ撮影

 3人用雑居房の面積は、ヨーロッパ基準に従い、約30平方キロメートルになっている。壁は精神的な心地良さのために、ソフトなピスタチオグリーンに塗装される。

 これ以上のことについては、まだ最終決定にいたっていない。不要になる「クレストィ」を、創造集積すなわち創作的プロジェクトや展示会用のプラットフォームに変えることを、市役所は提案している。「サンクトペテルブルクのこの場所を物理的、精神的に健全化するために、これが必要」と、サンクトペテルブルク市投資・戦略計画委員会のイリーナ・バビュク委員長は話す。

 「クレストィ」の今後について決定するのは刑執行庁。コルニエンコ長官は、今後についてはまだ決まっていないが、たくさんの案があると伝えている。いずれにしてもこれは歴史建造物であり、サンクトペテルブルクの記念物保護委員会の目録にも記載されているため、改築はできない。

 

有名な刑務所の歴史

 刑務所「クレストィ」は1892年、囚人自身によって建築された。建築家アントニオ・トミシコは、同じ十字型の棟を設計。すべての建物を赤レンガの擬ゴシック様式にした。これは当時、ヨーロッパ最大の刑務所というだけでなく、電気の照明、温水暖房、空調など、新しい技術が採用された、最も現代的な刑務所であった。当時の囚人の多くが、ここで初めて電気を見た。

 1917年のロシア革命までには、刑事犯以外にも、革命家や政治犯が収容されていた。自由主義者からボリシェヴィキまで、さまざまな人がここに入っていた。1930年代にはスターリンの抑圧の犠牲者が多数収監され、広さ3平方メートルの独房に15~17人が入っていた。囚人の中には歴史学者のレフ・グミリョフ、未来の元帥コンスタンチン・ロコソフスキーもいた。

 「クレストィ」では脱走騒動も何度かあった。囚人は新聞紙で偽の警察証をつくったり、パンで拳銃を彫塑したりしていた。ギャングのマドゥエフは1991年、自分に恋をしていた女性の予審判事を利用して拳銃を受け取り、脱走しようとした。だが脱走は失敗し、予審判事は7年の懲役刑を言い渡された。この話は映画「刑務所のロマンス」のモチーフにもなった。

 もっとも大きな騒動は「1992年暴動」と呼ばれているもの。銃殺刑が決まっていた囚人のユーリ・ペレピョルキンは、1棟の屋上にある散歩用のテラスを経由して脱走することを考案。失敗した場合は看守を人質に取ることを決めた。銃殺刑や他の厳しい刑を言い渡されていた囚人6人も仲間に入れ、2月23日「ソ連軍および海軍の日」の祝日を決行の日とした。国の祝日以外にも、看守ヴァレンチナ・アヴァクモワの誕生日であったため、看守の警戒心は鈍っていた。囚人が屋根から脱走しようとした時、監視塔の看守に気づかれ、警報が発令されたため、脱走の試みは失敗。アヴァクモワを含む2人の看守を人質にとり、外国逃亡のための資金と飛行機を要求した。サンクトペテルブルク市全体がこの暴動を見つめ、刑務所周辺にはマスコミが集まった。モスクワからの襲撃作戦の命令によって作戦が実施され、共謀者3人が死亡した。また、人質の1人も死亡した。

 今年7月、自動車窃盗の罪で収監されていた17歳の空中曲芸師のアレクサンドル・ポクロフスキーが、自分の技を使って4階から飛び降り、有刺鉄線の下をくぐって隠れ、脱走した。だが3日後に発見され、再逮捕された。

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