ロシアのシリアルキラーその2

ロシアでもっとも有名な快楽犯はアンドレイ・チカチーロ。この事件はハリウッド映画(「ロシア52人虐殺犯/チカチーロ」、1995年)にもなっている。少なくとも53人を殺害しているチカチーロは、世界ではワースト1位とはなっていないものの、ロシアではワースト1位になっている。=ウラジーミル・ヴャトキン撮影/ロシア通信

ロシアでもっとも有名な快楽犯はアンドレイ・チカチーロ。この事件はハリウッド映画(「ロシア52人虐殺犯/チカチーロ」、1995年)にもなっている。少なくとも53人を殺害しているチカチーロは、世界ではワースト1位とはなっていないものの、ロシアではワースト1位になっている。=ウラジーミル・ヴャトキン撮影/ロシア通信

ロシアでは20世紀半ばまで、連続殺人はまれであった。1960年代からは件数が増え、シリアルキラー(連続殺人犯)をなくすことは不可能と考えられるようになった。

「モスガス」

 この”ニューウェーブ”の最初の犯人はウラジーミル・イオネシャン。「モスガス」というニックネームで知られている(モスクワ・ガス局から)。イオネシャンは設備点検のガス業者を装って他人の家に入り、普通の店で購入したアウトドア用の小さな斧を使って、何度も被害者を切りつけていた。

 イオネシャンはアーティストだった。オレンブルクの音楽コメディー劇場で働き、バレリーナのアレヴチナ・ドミトリエワと浮気した。才能がないという理由で劇場から解雇されると、妻と子供を捨て、ドミトリエワとともにモスクワに行く。イオネシャンは、自分がKGBの職員で、コネでドミトリエワをボリショイ劇場のプリマにできると嘘をついていた。

 最初に殺人事件を起こしたのは1963年末。被害者は12歳の少年だった。イオネシャンは子供用のセーターと60ルーブル(当時の労働者の半月分の給与)、オーデコロン、ビーチ用サングラスをその家から持ち出した。同じ日に別の家にも行っているが、その家の少年は偶然助かった。イオネシャンが玄関先で少年に家に誰がいるか聞いたところ、少年はおばあちゃんがいると答えた。おばあちゃんは外出していたが、少年はそれに気づいていなかった。その数日後、イオネシャンはイヴァノヴォで次の殺人を犯す。少年を殺害し、その家からジャケット、セーター、ペンを盗み、別の家にも入って老女を殺害し、携帯用ランプと70コペイカを盗んだ。他の家では15歳の少女を強姦し、殺害しようとしたが、少女は助かった。イヴァノヴォの事件後、国を挙げた犯人探しが行われた。

 イオネシャンは数週間後に逮捕された。1964年初めに犯した最後の殺人事件でテレビを盗んでいたため、テレビを運び出した車が捜査され、居住地域と家が特定された。ドミトリエワは捜査員にイオネシャンがカザンに行ったこと、自分もすぐに出発することを説明。捜査員はドミトリエワに扮して、駅に迎えにきたイオネシャンをプラットフォームでそのまま逮捕した。捜査は長引かず、行われていることについては報道されなかった。イオネシャンは逮捕後2週間で銃殺された。

イオネシャンはソ連で有名になった。カフカス系だったことから、カフカス系の外見で、斧を持ち、ウシャンカ(耳あてつき毛皮帽)の耳あての部分を後ろ側にしばった男性像に暗いイメージがついた。

 

防雪林の悪魔

 ロシアでもっとも有名な快楽犯はアンドレイ・チカチーロ。この事件はハリウッド映画(「ロシア52人虐殺犯/チカチーロ」、1995年)にもなっている。少なくとも53人を殺害しているチカチーロは、世界ではワースト1位とはなっていないものの、ロシアではワースト1位になっている。逮捕までに12年かかった。警察官や国民は「悪魔」というニックネームをつけた。

 殺害したのは少年少女や女性で、特に子供を多く殺害した。最年少は7歳の少年。最年長は44歳のホームレスの女性だった。殺害された少年は全部で16人。犬、ビデオ、切手などを使って、子供をうまく誘っていた。チカチーロが暮らしていたロストフ州以外にも、モスクワ州などで事件が起きていた。チカチーロは駅で被害者を誘い、鉄道の防雪林で殺害していた。被害者には最大で60ヶ所以上の刺し傷があり、また目玉がえぐりとられていた。犯人は被害者の視線に耐えられなかったために、このようなことをした。被害者の何人かは強姦されていた。また耳、性器、胸が噛みちぎられたり、心臓がえぐり取られたりしていた。チカチーロはある時、ハンガリーの女学生を殺害し、遺体からあらゆる部分を切断し、それを女学生の服に巻いて、それを持ったまま自分の父親の誕生日を祝いに行った。

 チカチーロが最初に殺人事件を犯したのは1978年。9歳の少女にガムをあげると言っておびきよせ、そのまま殺害した。その時はショックを受け、3年間何もしなかったが、その後殺人を再開。1984年には1年で15人を殺害している。

 逮捕されたのもこの年。逮捕時、カバンの中にはナイフ、ワセリン、石鹸、ロープ2巻が入っていた。チカチーロの血液が調べられたものの、分析でミスがあり、解放されてしまう。

 1985年にかつてないほどの大々的な捜査が防雪林で行われ、20万人が取り調べられた。チカチーロはその間、慎重になりながらも殺害を続けた。解放された後に殺害した人数は21人。チカチーロは「自警団」の団員になり、自分の捜索に加わったこともあった。電車に乗って他の団員と移動。被害者の母親は消息不明になっている息子の写真を、チカチーロにも見せていた。

 その年の11月6日、防雪林で娼婦を殺害。駅に戻った時に警察に呼び止められ、身分証明書が調べられ、名前が記録された。遺体が発見された時、捜査員はチカチーロという名前の人物が以前容疑者になっていたことを思い出した。

 裁判所はチカチーロに銃殺刑を言い渡した。傍聴人の誰もが、死刑判決が出なかったら、被害者の親族が犯人を法廷から出すことはなかっただろうと話した。

 この事件によって、無罪の人が銃殺刑に処されている。アレクサンドル・カフチェンコは10歳の少女を強姦し、殺害したとして、逮捕された。極めて厳しい取り調べの結果、カフチェンコが罪を認めたため、有罪になり、死刑が言い渡された。後に犯人がチカチーロであったことが判明した。

 連続殺人の立件件数は1990年代末に1年で20~27件あり、2002年には205件、2003年には350件あった。この増加の理由の明確な説明はなく、連続殺人に関する情報はそれほど公になっていない。モスクワ郊外で「GTA団」(ゲームの「グランド・セフト・オート(車両重窃盗罪)」から)が現在、自動車の運転手を不明な動機で殺害している事件に関する正しい情報がほとんどないのも、そのような傾向の一つなのかもしれない。

 社会はこのような殺人犯の存在を客観的事実と受け止め、その一部を理解しようとしたり、打ち克ち難い力が作用していると正当化しようとしたりする動きまである。ロシアはこの点で、欧米とあまり差がない。どこでも人々は「デクスター 警察官は殺人鬼」のドラマを見て、違和感すら感じていない。同じシナリオのロシア版ドラマが今撮影されている。