ミハイロフスキー劇場に再び脚光

バレエ『ジゼル』=エレーナ・ブレディヌイフ

バレエ『ジゼル』=エレーナ・ブレディヌイフ

ボリショイやマリインスキーほどは有名ではないが、ミハイロフスキー劇場の経営陣は、最近実施した改革により、認知度がより高まることを期待している。

 サンクトペテルブルクのミハイロフスキー劇場バレエ団は、その歴史の大部分において、モスクワのボリショイ劇場とサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場というロシアの二大バレエ団の影に隠され、陽の目を見ることがなかった。しかし現在、ミハイロフスキーのダンサーたちは、同劇場の地位回復の原動力にもなっている新監督の努力のおかげで、長期間その価値がありながらもものにできなかった認知度を獲得している。

 

弱者の成功ストーリー  

 1833年に開設されたミハイロフスキー劇場は、マリインスキー劇場とアレクサンドリンスキー劇場に次いで、帝室による後援を受けたサンクトペテルブルクで三番目の劇場だった。同劇場は、ロシア皇帝ニコライ1世の弟だったミハイル・パヴロヴィチ大公にちなんで命名され、ミハイロフスキー宮殿の隣に建てられた。

 当初、同劇場には定着したレパートリーも専属の劇団もなかったので、ミハイロフスキーはフランス人、ドイツ人、イタリア人の出演者や、作曲家ヨハン・シュトラウス、女優のサラ・ベルナールを含む外国人スターを招いていた。 

 ボリシェビキ革命後の1918年、同劇場は「レニングラード国立歌劇小劇場」に名称を変更し、そのロシア名の頭文字を取った「マールイ劇場(MALEGLOT)」という名で知られるようになった。著名な振付師フョードル・ロプホフが率いるバレエ団は1933年に設立された。

 ミハイロフスキー劇場の広報マネージャーであるソフィア・スタノフスカヤ氏によると、著名でなかったことは、同劇場に恩恵をもたらしたという。「マリインスキーやボリショイなどのような "公式" 劇場ではなかったため、この劇場は芸術的試みの真の意味での実験場になりました。その結果ドミートリイ・ショスタコーヴィチによる斬新なオペラやプロコフィエフの『戦争と平和』といった作品が上演されたのです」。この劇場は、ショスタコーヴィチのバレエ『明るい小川』が初演された場所である。

 1989年にはロシアの作曲家モデスト・ムソルグスキーにちなんで劇場名が改名され、そのレパートリーは、ピョートル・チャイコフスキー、ニコライ・リムスキー=コルサコフやアレクサンドル・ボロディンといった古典的なロシア人作曲家による主要作品に重点が変更された。当時の正式名称は「サンクトペテルブルク・ムソルグスキー国立オペラ・バレエ劇場」だ。

 ソ連崩壊後の時代には同劇場への入場者が激減し、それが改善したのはウラジーミル・ケフマン氏が総裁に就任した2007年のことだった。当時39歳だったケフマン氏は、果物の販売を通じて莫大な富を築いた人物で、マスコミでは「バナナ王」として幅広く知られていた。 

 ケフマン氏は、同劇場を改装するために3800万ドル以上を費やした。改装後、この劇場の名称は歴史的な「ミハイロフスキー劇場」に戻された。

 ケフマン氏は、劇場と彼自身の知名度を高めるためならどんなことでもする用意があることを実証して見せた。彼は、パーティーやレセプションのために聴衆席を貸し出すほか、ロシア語版の『ピノッキオ』である『チポリーノ』の上演に、レモン王子として自ら出演した。「それは私の昔からの夢なんです」とケフマン氏はある時に語った。「私が劇場に来たのは歌ったりダンスしたりするためです」 

 

年末年始の「ミハイロフスキー劇場」日本公演

 ミハイル・タタルニコフ氏指揮の「ミハイロフスキー劇場管弦楽団」日本公演が12月28日、「横浜みなとみらいホール」で行われる。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの「運命」と「第九」が2014年を締めくくる。
 「ミハイロフスキー劇場バレエ団」日本公演が1月3日~12日、「東京国際フォーラム」、「東京文化会館」、「神奈川県民ホール」で行われる。3日、4日の新春スペシャル・ガラの演目はN.ボヤルチコフ演出の「くるみ割り人形」、M.メッセレル改訂演出の「白鳥の湖」、「ライモンダ」。以降の演目はF.ルジマトフ改訂演出の「海賊」、「白鳥の湖」、N.ドルグシン改訂演出の「ジゼル」(1973年版)。ヴァレンチン・ボグダノフ氏指揮の「ミハイロフスキー劇場管弦楽団」のコンサートで閉幕する。

 

新たな息吹 

 意欲的な管理手法だけでな​​く、創造的なプロセスにも干渉するケフマン氏の傾向は、全般的に受け入れられたわけではない。彼が総裁を務めた2年間は、内部紛争、辞任、解雇、嘆願書や論争によって損なわれた。

 しかし現在は、混乱がほとんどなくなり、同劇団はロシアの国内外で評判を確立しつつある。「総裁として、そして慈善家としてケフマン氏がもたらした衝動的な活動力と機運は、オペラやバレエの国際的な歴史の中でも前例のないものであることに疑いはありません」と、14歳という若さでミハイロフスキー・バレエ団でダンスを始め、ケフマン氏就任以前と以後の同バレエ団の経験を持つマラト・シェミウノフ氏は語った。   

 ケフマン氏の強みの一つは、有能な人材で周囲を固め、彼らに自分のビジョンを理解させる能力にある。ケフマン氏は、かつてマリインスキーのキーロフ・バレエでプリンシパルダンサーや助監督を務めたファルフ・ルジマトフ氏をミハイロフスキーバレエ団の芸術顧問として迎え入れたほか、ロシア人メゾソプラノのエレナ・オブラスツォワ氏をオペラ部門の芸術顧問として雇い入れた。ルジマトフ氏とオブラスツォワ氏の両者ともロシアではお馴染みの人物で、彼らの知名度がミハイロフスキーの評判を再建するのに貢献した。

 2011年には、ケフマン氏はスペイン人振付師のナチョ・ドゥアト氏をミハイロフスキー・バレエ団の芸術監督に任命し、彼は2009年以来同バレエ団のバレエ・マスターを務め、教育担当者のミハイル・メッセレル氏と手を組むことになった。メッセレル氏は、『白鳥の湖』や『ドン・キホーテ』といった古典的バレエの新たなバージョンを制作した。一方で、ドゥアト氏の評判は、マリインスキーのスターであるレオニード・サラファーノフやボリショイのナタリア・オシポワやイヴァン・ヴァシリエフを含む新たなダンサーを同バレエ団に招致するのに役立った。

 ケフマン氏は、後にインタビューで自らの成功を次のようにまとめている。「私の劇場はロシアで2番目に最高のものです。最高の劇場がどれであるについては、他の人に好きなように決めてもらうことにしましょう!」

 ケフマン氏の個人的資産は悪化をたどっている(彼は2012年にロンドンで破産宣言された)が、ミハイロフスキーのスターはその地位を高め続けている。ミハイロフスキー劇場の数多くの上演は、ロシアで最も権威のあるゴールデンマスク賞の演劇芸術部門にノミネートされており、同バレエ団には海外から上演依頼も殺到している。

 ドイツと英国でツアーが成功を収めたミハイロフスキーはこの秋、米国と日本のツアーに出る予定だ。マラト・シェミウノフ氏は、このツアーの目標は単純だと述べた:「是非また来てくださいと依頼させることです」