クレムリンの食卓の秘密

タス通信

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レーニンの食へのこだわりは、政治へのそれにくらべればはるかにささやかなものだったが、スターリンはウォッカよりコニャックを好み、フルシチョフはビーフステーキが好みだった。一方ゴルバチョフはといえば、朝食に5種類ものカーシャ(おかゆ)のメニューがあった。

政治と正反対 

 ウラジーミル・イリイチ・レーニンは、政治においては大変な「グルメ」だったが、美食に関しては完全に「近視眼的な」人物だった。彼の妻であり同志でもあったナジェージダ・クループスカヤは、回想録で、家庭の献立には「昼食」「夕食」という言葉がなく、病人やダイエット中の管理食のようにしばしば「食餌」と書かれていたという。

 「レーニンは自分が何を食べたかを覚えていないばかりでなく、この料理とこの料理のどっちが好きか、と聞いても要領を得ない答えが返ってくるほどでした」。著書『レーニンは何を食べていたのか?』の中で、ロシア料理史家ヴィリアム・ポフレプキンは書いている。レーニンの食に関する唯一のこだわりは、同時代人にしては珍しいことに、ジョッキ1杯の良質のビールであった。この偉大なボルシェヴィストは、ロシア全土で醸造されているビール「ジグリョフスコエ」の産地であるヴォルガに生まれ育ち、長年亡命先のドイツで暮らしてきた。ゆえにビールの良さをよく理解していたのだ。

 

独裁者の食卓

 ヨシフ・スターリンが生まれ、彼の味の好みをつくったグルジアは、伝統料理が非常に豊かな場所だった。有名なグルジアのワイン、ドライフルーツを使ったスイーツ、塩漬けのチーズ、スパイスの効いた辛いスープ、肉料理…これらすべてが、グルジアの家庭で祝宴のテーブルに載る。

 スターリンは祖国を離れ、違法な革命運動に従事していたときにもこれらの料理を忘れることはなかった。のちにシベリアへ流刑になった時、彼はロシア料理も口にしたが、とくに魚を主体としたものを好んだ。

 長い年月を経て後、大元帥のテーブルに呼ばれた共産党の幹部たちは回想している。最初は鱒のストロガニーナ(シベリアのカルパッチョの一種)に「鼻が裏返る」ような思いをしたが、のちに彼らもそれを食べるようになったと。スターリン時代には新鮮な鱒がクレムリンの食卓へ空輸されていたという。

 スターリンの献立には2つの特徴があった。給仕は客人にサービスするのではなく、お代わりや前菜、デザートを盛りつけてテーブルに並べて立ち去る。テーブルでは国家の重要な問題について議論されるので、昼食のホールには余計な「耳」は邪魔だったのだ。最初の料理から、高官たちそれぞれにお皿が割り当てられていた。シー(生あるいは酢漬けのキャベツでつくるスープ)やハルチョー(マトン、米、トマトからつくるカフカスのスパイシーなスープ)などを取り分けるためだ。もう一つの特徴は、常に10種類以上のウォッカとコニャックが備えられていたことで、その中にはスターリンが私的にチャーチルへ贈ったこともある、ダゲスタン・キズリャール産のコニャックも含まれていた。このソ連の指導者自身は、酒はほどほどに嗜み、生涯ツィナンダリとテリアニ、つまりグルジアのカヘティ産の白と赤のワインを好んだ。

 

人はとうもろこしのみにて生きるにあらず

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 ニキータ・フルシチョフは、フルーツには、たとえそれが東洋のエキゾティックなものであっても、まったく無頓着だった。彼は食卓のアメリカ産のとうもろこしを見ても平然としていた。訪米してアメリカの農業生産力に感動した彼は、ソ連の耕地面積の1/4に、とうもろこしを植えまくったのだが(注:フルシチョフはアメリカ訪問時、食糧の緊急援助を求め、とうもろこしを大量にアメリカから輸入した)。とうもろこしは、何よりもまず家畜の食糧として栽培された。当時は国中が肉不足であり、それを解決するためだった。

 ところが肉となると、ニキータ・セルゲイーエヴィチはもう目がなかった。「私たちはさまざまな肉料理をつくりました」。フルシチョフの料理人だったアンナ・ドゥィシュカント氏は回想する。「彼はヒレ肉が大好物でした。私たちはそれを特別な焼き方で調理したものです。フライパンに油をひき、次にナプキンでそれを吸い取ります。フライパンを生乾きにするためです。肉を叩いてやわらかくして焼けば、おいしいビーフステーキのできあがりです」

 ビーフステーキに負けず劣らずニキータ・セルゲーエヴィチが好きだったのは、ヴァレニキ(肉の入っていない、ラヴィオリのような料理)だった。しかし何と言ってもフルシチョフの一番の好物は、猟師風の薄がゆだった。これはとても栄養のあるコサックの料理で、きびと肉の脂身からつくる、脂っこいスープとラグーの中間のようなものである。クレムリンでは、フルシチョフ夫妻のためにタルトを特別な菓子工房に注文していた。

 

停滞時代の贅沢

ブレジネフは狩猟中=タス通信

 ブレジネフはロシアの指導者の「料理史」の中で、クレムリンの料理人たちにエビのスープを復活させたという点で記憶されている。エビのスープは古くからのロシアの料理で、革命前まではロシアの上流家庭でもそう稀でなかったが、その後忘れかけられていた。このスープは、有名な地中海のスープであるルイに部分的に似ているが、もちろん違うところもある。

 調理はとても簡単で、重要なのは20匹の生きた大きな川エビを手に入れることだ。それを軽く魚介の白ブイヨンで茹で、尾とはさみから身をはずし、殻をむいてあぶる。あぶった殻を細かく切り、少量の油で5分ほど深鍋で煮る。その後調味料と肉を加えてブイヨンで沸騰するまで煮る。黒胡椒とローリエの葉、ういきょうをお好みで添える。これで、ブレジネフ――彼のもとでソ連は停滞の時代に入った――のお気に入りの一品ができあがり。ブレジネフの好みのウォッカはズブロフカだったが、これはベラルーシからロシアの食卓に入ってきた浸酒で、ベロヴェーシの保護林に育っている草がつかわれている。

 

味覚のペレストロイカ

 このような時代のあとに、そのベロヴェーシの森ではロシアの将来を決定づける独立国家共同体(CIS)設立に関する協定が署名され、「ソヴィエト帝国」は解体されることになる。しかしこのペレストロイカの立役者にして唯一のソ連大統領だったミハイル・ゴルバチョフの署名は、ベロヴェーシの森の合意に対して行われる事はなかった。この合意は、彼には秘密で行われたからだ。

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 注目すべきは、現代ロシアで最も不人気な政治家の一人であるこの人物が、大統領としての在職仲でさえ、おそらくほかのどの前任者たちよりも合理的な食事をしていたことだ。つまりありふれた様々なものを、普通の量で食べていたということである。

 「彼は肥満気味だったため、自ら食事を制限していたのです」と、クレムリンの料理人アナトーリー・ガルキンはsegodnya.uaのインタビューで語っている。「彼はこう言うんです。『サラダを作ってくれないか?メインは私は食べないよ。お菓子は君が食べてくれ』と。種なしのマスカットが彼の大好物でしたね。それから果物の砂糖漬け、なつめやし、くるみなども好きでした」

 このソ連の大統領の好みはロシアのお粥で、まさに王様らしく豊富なメニューがあった。「そばの実や、小麦、大麦のカーシャも好きでした。そばの実は、その時の気分次第でさまざまに調理しました。薄粥にしてみたり、やわらかくしたり、きのこを入れたり、ベーコン入りにしたりと。時々、米やきびのカーシャも頼まれました」。ゴルバチョフ夫妻にとって、カロリーとボリュームのある料理は、宴席のときだけに許されるものだった。しかしその宴席でさえ、ゴルバチョフはテーブルがさまざまな珍味であふれるのを嫌ったという。ゴルバチョフは今、ドイツで当時よりさらにつつましやかな療養生活を送っている。もちろんそれは治療上の制約によるものであって、個人の考えによるものではないのだが。